文化遺産の受難とは? わかりやすく解説

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文化遺産の受難

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:04 UTC 版)

中央アジアの美術」の記事における「文化遺産の受難」の解説

アフガニスタンバーミヤーンには東西2つ大仏のほか、多く仏教石窟造営された。しかし、前述のように、イスラム原理主義勢力タリバンにより2001年3月バーミヤーン遺跡破壊され東西大仏のみならず石窟壁画もその大部分失われた残され壁画なかには国外へ不法に持ち出されたものもある。その後2003年には「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」がユネスコの世界遺産危機遺産)に登録された。同年より、ユネスコ中心となり、ドイツイタリア日本専門家らによって、破壊され大仏破片収集遺跡の保存修復作業進められている。ただし、国民多く貧困にあえぐ地元アフガニスタンでは、「遺跡修復よりも、今生きている人間の生活向上を優先すべきだ」との声もある。 アフガニスタンでは、1979年以降ソ連侵攻とそれに続く内戦により治安悪化し多く文化財不法に国外持ち出された。日本の画家で、ユネスコ親善大使務めた平山郁夫2001年流出文化財保護日本委員会設立しアフガニスタンから流出して日本持ち込まれ文化財保護活動開始した。同委員会は、アフガニスタンに平和と安定訪れるまでこれらの文化財日本管理することとした。2015年アフガニスタン側から日本へこれらの文化財の返還要請があり、102件の文化財返還されることとなったアフガニスタン首都カーブル国立博物館は、内戦時期収蔵品略奪受けた1994年には館の建物砲撃を受け、2001年にはタリバン支持者が館に侵入してハンマー文化財叩きこわしたこうしたことから、国立博物館所蔵貴重な収蔵品滅失したもの思われていた。ところが、アイ・ハヌムティリヤ・テペベグラムなどの出土品大統領宮殿地下秘密の場所保管されており、無事であることが2003年確認された(上記の各遺跡については後述)。これらの文化財世界各地博物館巡回する展覧会公開されている。 2016年1月から6月まで九州国立博物館東京国立博物館開催され特別展黄金アフガニスタン守りぬかれたシルクロード秘宝-」では、アイ・ハヌムティリヤ・テペベグラムなどの出土品のほか、流出文化財保護日本委員会保管アフガニスタン流出文化財展示された。 ベゼクリク千仏洞中国新疆ウイグル自治区盗賊襲われるソグド人商人敦煌莫高窟45南壁)唐時代 バーミヤーン大仏破壊前) 黄金の冠 ティリヤ・テペ6号墓アフガニスタン1世紀

※この「文化遺産の受難」の解説は、「中央アジアの美術」の解説の一部です。
「文化遺産の受難」を含む「中央アジアの美術」の記事については、「中央アジアの美術」の概要を参照ください。

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