政治・有権者心理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)
ルッキズムは何世紀もの間、政治的な話題であった。これは、新聞漫画で、政治家の外見の欠点が「異常なほどに強調」されるのがイギリスでの長き伝統だったためである。1960年アメリカ合衆国大統領選挙における最初のテレビ討論では、有権者からより多くの賛同を得るのにケネディのハンサムな容姿が寄与したと思われることが多い。しかし、この俗説に疑問を呈し、ケネディの容姿はほとんど、もしくはまったくもって結果に影響しなかったと論じる研究者もいる。 政治的な男らしさや女らしさの具現化に寄与した可能性のある変数は数多くあった。学者のCharlotte Hooperは、「ジェンダーは、階級、人種、セクシュアリティなどのその他の社会的区分と交わり、複雑な(ジェンダー)アイデンティティのハイアラーキーを作り出す」と論じている。Hooperは、戦争における戦闘などの組織化された活動が、男らしさのかなりの部分を規定したと述べる。さらに、スポーツ、メディア、時事問題などの象徴的な側面が、「国境を越えて領土を拡大していくというような、西洋的な男らしさと結びつく図像を数多く広めている。」 という。これこそが、ルッキズムというイデオロギーが強固に定着した場所なのだと、Hooperはいう。同様にLaura Shepherdによれば、男性は決められた行動をとり、決められた装いをし、感情や男らしくないとされるもの全てが排された考え方を持つことによって、「理解可能性のマトリクス」に適応することを求められているという。もし、究極の「男の中の男」になることに成功した暁には、彼らは事実上無敵の存在となる。しかし、政治的領域における男らしさの分析には、明らかな関心があるだけで、同じ領域における女性らしさについて信頼できる分析を行うのは不可能だとする者もいる。 マデレーン・オルブライトが2010年に行ったTEDトーク「女性として、外交官として」を例にとってみよう。オルブライトは、男性の同僚やメディアコメンテーターがいかに彼女の容姿をこき下ろしたかに関して、不満をあらわにした。アメリカ初の女性国務長官として、オルブライトは国内外で注目の的となった。年齢、体重、髪型、服装のチョイスにいたるまで全てを細かく調べ上げられた。しかし、皮肉なことに、もっとも重要な成果だと彼女が強く思っていた政策的な立場(G7の開催、男女同権を推進する試みなど)については、ほとんど考慮されることはなかった。オルブライトの容姿が「魅力的」などという狭いカテゴリーに属さなかったという事実は、彼女が女性としての立場と外交官としての立場との間でうまくバランスを取ることをより困難にした。オルブライトは権力を持つ立場にいる唯一の女性であるだけではなく、他方で、容姿によって差別されてきたのである。2005年のワシントンポストのとある記事は、当時国務長官だったコンドリーザ・ライスがドイツのヴィースバーデン基地に訪れていた際、彼女がヒールのついた黒いニーハイブーツを履いて外出したのを取り上げて、"ミストレス"というレッテルを貼った。この記事自体は、ライスを「期待や思い込みに挑戦した」として賞賛する意図だったが、この記事によって彼女には過度に性的なイメージがついてしまい、基地に訪問した目的が読者に伝わらなくなったとする論者もいる[誰?]。同様にメディアのコメンテーターも、職業上の成果ではなく、ヒラリー・クリントンのパンツスーツやジュリア・ギラードのショートカットに着目しがちである。第11代アラスカ州知事であり、2008年アメリカ合衆国大統領選挙で共和党の副大統領候補であったサラ・ペイリンは、従来的な意味でいう魅力的な容姿で多くのメディアの注目の的となった。ペイリンは、容姿にばかり注目するのは、彼女の職業的、政策的な成果を無視することではないか、と述べている。
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