放送禁止歌としてとは? わかりやすく解説

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放送禁止歌として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 08:42 UTC 版)

悲惨な戦い」の記事における「放送禁止歌として」の解説

歌詞の内容は、国技館からテレビ中継していた大相撲取り組み中に力士廻し落ちる(不浄負け)という、架空ハプニング顛末語ったコミカルなものであったが、日本相撲協会クレームもあったとされ、要注意歌謡曲指定制度によりAランク指定放送禁止)の扱いになったとされる。ただし、1999年フジテレビの『NONFIX』で放送されドキュメンタリー放送禁止歌』におけるインタビューで、なぎらは、レコーディング中も多少の不安はあったが予想外にヒットしてスケジュール決まっている矢先放送禁止指定されたが、実際に相撲協会からのクレームはなく、その前に民放連自主規制したとみられる話し結局言葉に罪はなく使う人の意識問題だとした。 このインタビューの中でなぎらは、言及されている力士四股名のうち、「若秩父」は若秩父高明意識して創作したことを述べているが、「雷電」は20世紀にはこの名の力士がおらず、歌詞出てくる「弟子朝潮」についても、若秩父活動時期重な朝潮太郎 (3代)若秩父より年長所属する部屋異なっており、該当する者はいない。 『新・悲惨な戦い』も含めて要注意歌謡曲指定制度失効する1988年まで放送禁止となるAランク指定され続けたが、森達也はどれだけ贔屓目見ても、選曲判断バランス悪く本作指定されるなら、他にも同じ扱いをされる作品もあるはずだと疑問呈し2000年前後にはそれを聞いて答えられる人は制度主体である民放連にはもういないと返答されているが、それぞれの楽曲審議する人間思考停止に陥っていたのではないか考え、何かのはずみで残り続け担当者引き継ぎが行われても考察をせず、そのまま申し送りすることが繰り返され可能性指摘している。 森達也1990年代本曲流している有線放送ディレクター取材すると、放送禁止指定され事実知っているが、使用しているのは禁止されスタジオ録音ではなくライブ音源であり、ライブでは歌詞にある「NHK」を「イヌHK」と発音しているため放送していると言われも「かえって失礼では」と聞くと「そういうものなんですよ」と返され森はなるほどとなったが、有線放送民放連加盟なため通達規制受けないことをお互い認識していなかった。 90年代には、日本テレビライブ放送された。TBSテレビ所さんのワーワーブーブー』でこの曲を披露した際、オンエアでは「それは10年以上も前の国技館の話です」の部分カットされた上、歌われたのはマワシ落ちたところまでだった。 1999年フジテレビNONFIX 放送禁止歌』でノーカット放送2006年山下達郎ラジオ番組でフルバージョンで放送。現在は「歌詞の内容シャレ通じる」という理由から放送可能になったと説明があった。

※この「放送禁止歌として」の解説は、「悲惨な戦い」の解説の一部です。
「放送禁止歌として」を含む「悲惨な戦い」の記事については、「悲惨な戦い」の概要を参照ください。

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