放射線の研究
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「奈良学園中学校・高等学校」の記事における「放射線の研究」の解説
「科学館を愛する生徒の会」により放射線の研究が2003年から継続的になされている。広島市で原爆についての聞き取り調査を行い、第3回はかるくんコンクール(2004年)で優勝(文部科学大臣賞)。2010年度までは被爆地広島の地表の浄化や人々の偏見について調べてきたが、2011年福島原発事故以後は福島県での放射線についての研究発表を行い、福島県立福島高校(2012年に福島県コアSSH認定)と研究交流を行っている。2012年にSSHに認定されて以来、SS研究チーム(放射線研究チーム)を発足させ、日本化学会、日本放射線安全管理学会などの学会で毎年発表を行っている。 第30回みんなのくらしと放射線展(2013年)「ハイスクール放射線サマークラス」「高校対抗プレゼンテーション」最優秀賞 第32回みんなのくらしと放射線展(2015年)「ハイスクール放射線サマークラス」「高校対抗プレゼンテーション」審査員特別賞 第33回みんなのくらしと放射線展(2016年)「ハイスクール放射線サマークラス」「高校対抗プレゼンテーション」審査員特別賞
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放射線の研究
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1893年(明治26年)に三高(現:京都大学総合人間学部)の教授となると、翌々年にかつて師事したレントゲンがヴュルツブルク大学でX線を発見した。これを翌1896年(明治29年)にドイツ留学中の長岡半太郎から聞くと、レントゲン本人に詳細を問い合わせている。 村岡はX線の追試験を行おうとしたが、三高では電源など十分な装置がなかったため、島津製作所の島津源蔵 (2代目)と共に研究を行った。その結果、1896年10月10日に国内で初めてX線写真の撮影に成功した。なお、同年10月12日付でレントゲンに送ったX線の発見を祝う手紙が、出身地・レネップのレントゲン博物館に保存されている。 また、1896年にアンリ・ベクレルがウラン鉱石からの放射線を発見するとこれに刺激を受け、蛍が発する光からも放射線が出ているのではないかと考えた。この未知の光を「渣蛍線」と名付けて研究を進めたが、後に誤りであることが判明した。1896年8月『東洋学芸雑誌』179号 に、ホタルの光がベクレル線と類似の性質を持つと発表し、1897年10月水蒸気の感光作用の誤認であると訂正発表した。
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