膨張装置から霧箱へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 19:17 UTC 版)
「チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン」の記事における「膨張装置から霧箱へ」の解説
ウィルソンは1910年から「イオンを可視化する研究」をはじめた。ウィルソンは水蒸気の凝結を使えば、空気中のイオンを水滴として目に見えるようにでき、イオンを数えることができると考えたのである。ウィルソンは膨張装置で水滴の写真が撮れるように実験装置の改良を行った。目的は「イオン電荷を直接測定する」ことだった。 その当時すでに放射線の研究が進んでおり、α線やβ線が飛ぶと、空気中にイオンでができることが知られていた。ウィルソンは「α線やβ線の電離作用によってできる空気中のイオンに水を凝縮させて可視化させる可能性と写真を撮る可能性」を追求した。1911年に装置の改良を行い、膨張装置の中にラジウムをつけた細い針を入れて、初めてα線の飛程に沿って霧の美しい効果が観察された。糸のように細いβ線の飛跡も見ることに成功した。ウィルソンはその結果を1911年4月に王認学会に投稿した。1911年の夏に装置を改良し1911年の冬にも撮影に成功し、1912年6月の論文として王認学会に投稿した。この論文の中でもウィルソンは実験装置のことをcloud chamberと呼んでいる。1912年から1913年の冬にかけてX線の効果を知るために撮影を行った。その写真はコンプトン散乱を可視化したものとなった。ウィルソンはその功績が認められ、アーサー・コンプトンと同時に1927年にノーベル物理学賞を受賞した。
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