採用経緯
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1935年、イギリス航空省はアンソンの後継となる沿岸偵察機兼軽爆撃機案を、仕様G.24/35として各メーカーに募集した。ブリストルは高速旅客機として開発中で、この年に初飛行したタイプ142をもとに開発したタイプ142M/ブレニムMk.Iを改良したタイプ149を提案した。 タイプ149はエンジンが自社製のアクィラエンジンへと換装され、より航続距離が伸びていたが、航空省はこの提案を受け入れなかった。その代わりに、マーキュリーMk.VIIIエンジンを搭載しているブレニムMk.Iを、タイプ149/ブレニムMk.IIIとして改造し通常の偵察任務に用いた。Mk.IIIは機首が機銃手のために延長され、操縦席より前左側の機首が操縦士の視界確保のために窪んだ設計となっている。 この頃、カナダ空軍も新しい海上哨戒機を欲していた。ブレニムの長い航続距離は、このカナダ空軍の要求に見合ったものであった。ケベック州にある、アメリカのフェアチャイルド社系列であるフェアチャイルド航空機社は、ブリストル社とブレニムのライセンス契約を締結し、ブレニムMk.IVに元々使用される予定であったボーリングブロークの名を使用して、ブレニムMk.IVのライセンス生産を開始した。これは軍では「ボリー (Bolly)」という愛称で呼ばれた。初期型はボーリングブロークMk.IとしてブレニムMk.IVと全く同じ設計であった。18機Mk.Iを製造したフェアチャイルド社は、カナダやアメリカの機器を使用し、エンジンをマーキュリーMk.XVへ換装したボーリングブロークMk.IVへと生産ラインを切り替えた。Mk.IVは防氷ブーツを装備し、救命艇も機内に搭載していた。 合計626機のボーリングブロークが生産されたが、このうち最も生産された型は457機が生産されたMk.IVTである。
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採用経緯
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前史 自衛隊は当初、アメリカ軍から供与されたM1911を「11.4mm拳銃」として採用していた。しかし、11.4mm拳銃は日本人には大きく不向きであり、使用する.45ACP弾の反動も大きすぎるとして、防衛庁は第二次世界大戦前から国産拳銃の開発を行ってきた新中央工業に、新型拳銃の開発を依頼した。そして、1958年に完成したのが9ミリ(38口径)のニューナンブM57Aであった。 しかし、アメリカ軍が依然として45口径のM1911を使用し続けていたこと、それに伴う弾薬の共用性の問題、および政治的判断から戦後初の国産軍用拳銃の採用は見送られた。 新型拳銃の採用 1980年代に入り、アメリカ軍は長く運用してきたM1911に代わり、新たに新型拳銃を採用する計画を発表した。これを受け、自衛隊が9x19mmパラベラム弾を使用する新しい制式拳銃の採用を計画したことから、そのトライアルには新中央工業のM57A1、西ドイツ(当時)のSIG SAUER P220、ベルギーのFN ブローニング・ハイパワーなどが参加し、1979年から1980年までテストが行われた。 その結果、P220の採用が決定して1982年1月に部隊使用の承認を受け、1982年から部隊配備を開始した。
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