採用・改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 16:19 UTC 版)
来るべき対英米戦のため、増加試作機によって1941年11月に独立飛行第47中隊(中隊長坂川敏雄)が編成、英米軍新鋭機への対抗に実用試験を兼ねて同年12月の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦と共に南方作戦に実戦投入された。初出撃は12月25日であり、時にはキ44の本領を発揮する高速追撃や一撃離脱戦法を駆使するなど特性を生かし、黒江保彦大尉や神保進大尉ら陸軍のエース・パイロットがバッファローやハリケーンを撃墜するなど戦果を挙げ、実戦では航続距離を除いて運動性は問題とされなくなった。そして1942年2月に二式戦闘機として制式採用された。 開発が難航したことから、試作機テスト中に性能向上のための改修案が検討された。第一次の性能向上策として、搭載エンジンをハ41からこれの改良型であるハ109(離昇1,500馬力)に換装することが試みられた。この改修により速度性能が向上したため、1942年12月に二式戦闘機二型(キ44-II)として制式採用された。このためそれまでの生産型は二式戦闘機一型(キ44-I)と称される。なお、一型(キ44-I)の生産機数は40機のみで、残り大半機は二型(キ44-II)である。 1943年(昭和18年)には、第二次性能向上型として2,000馬力級エンジンであるハ145を搭載したキ44-IIIの開発がなされるが、この試作機が完成した頃には新型の高性能万能戦闘機であるキ84(のちの四式戦闘機「疾風」)の開発が進んでおり、キ44-IIIは実用化されず、また二式戦の生産自体も1944年末に終了した。総生産機数は各型合計1,225機である。
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