採用後の実績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:58 UTC 版)
「スオミ KP/-31」の記事における「採用後の実績」の解説
1939年11月30日、フィンランド領内に4個軍・計70万人のソ連赤軍が侵攻した(冬戦争)。兵力・火力共に劣勢のフィンランド軍は善戦し、KP/-31もその一翼を担った。本銃を用いたスキー部隊(通称:シッシ部隊)の一撃離脱攻撃により、ソ連軍を一時的に国境外に追い出すことに成功した。 この戦いの際、モシン・ナガンM28を使用して505人を狙撃し、スナイパーとして史上最多の確認戦果記録を持つシモ・ヘイヘはこのサブマシンガンを使用し、前述の記録とは別に200人以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した542人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。 ソ連軍は鹵獲したKP/-31を持ち帰りPPSh-41など短機関銃開発の参考にした。またスイス、ブルガリア、スウェーデンでもライセンス生産され、大戦中はフィンランドに駐留していたドイツ軍でも使用された。 KP/-31は、1990年代までフィンランド軍で使用された。
※この「採用後の実績」の解説は、「スオミ KP/-31」の解説の一部です。
「採用後の実績」を含む「スオミ KP/-31」の記事については、「スオミ KP/-31」の概要を参照ください。
- 採用後の実績のページへのリンク