抑留日系人補償運動と執筆活動 - 記憶を語り継ぐために
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「ヨシコ・ウチダ」の記事における「抑留日系人補償運動と執筆活動 - 記憶を語り継ぐために」の解説
強制収容に対する補償については、1948年7月に日系人退去補償請求法が制定され、最初の補償策が施行されているが、文書によって証明できる不動産・私有財産のみに限られるなど、その内容と対象は極めて限定的なものであり、日系人が受けた様々な不利益、精神的苦痛の補償、さらには日系人の経験・記憶の継承など真の補償運動が始まるまでにはまだかなりの歳月を要した。 ウチダが『トパーズへの旅』を発表したのは1971年のことだが、1970年代初頭は60年代の黒人公民権運動のうねりが他のマイノリティにも波及し、日系人についても、1948年の日系人退去補償請求法では考慮されなかった無形の損害、侵害された自由、尊厳などの回復を求めた補償運動が始まったばかりであった。『トパーズへの旅』の続編『故郷への旅』を発表したのは1978年、さらにこれらの虚構を含む作品ではなく彼女自身が直接体験した事実を語った自伝『荒野に追われた人々』を著したのは1982年のことである。1988年にレーガン大統領により「1988年市民の自由法(英語版)」が署名され、強制収容によって損なわれた日系アメリカ人の名誉回復がようやく実現することになるが、ウチダは30年以上にわたるこうした変遷に配慮しながら強制収容に関する著述を進めており、名誉回復後の1991年には、再度、強制収容体験を語った自伝『見えない糸』が発表された。ウチダが死去する前年のことである。 ウチダはこの他に、写真花嫁として渡米した女性を主人公とした『写真花嫁』を発表しており、「アメリカ人の目には個人の意思や感情を無視した後進国日本の野蛮な習慣と映った」写真花嫁は、1920年に日本政府が夫とともに渡航する女性にのみパスポートを発行する措置を講じたため、事実上、この時点で終焉したが、この意味で、文学作品としてだけでなく、日系移民史の史料としても重要である。 ウチダは日系人の苦難を語り継ぐ活動の一環として、児童文学作品を多数発表した。代表作はリンコ三部作(『夢は翼をつけて』、『リンコの逆転ホームラン』、『最高のハッピーエンド』)および『わすれないよ いつまでも ― 日系アメリカ人少女の物語』であり、いずれも、差別と闘いながら常に前向きに生きる日系二世の少女を描き、アメリカ児童文学に新風を吹き込み、アメリカの子どもたちに「新たな主人公、新たな世界観」を提示した。
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