抑留期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:17 UTC 版)
1620年、後金に抑留されていた朝鮮軍捕虜は釈放されて帰国したが、姜弘立と副元帥・金景瑞など10余名は帰国を許されず、金都老城(ヘトゥアラ)に留まった。だが、残留した朝鮮捕虜はヌルハチの厚遇を受けた。とりわけ姜弘立はヌルハチの次男ダイシャン(中国語版)(代善)の養女と結婚、明の捕虜500人を下人として下賜された。この間、姜弘立は何度も光海君と密書のやり取りをし、後金の事情を伝えている。光海君は明と後金に両面政策を取り、何とか平和を維持していた。 だが、長い抑留生活の間に情勢は大きく変化する。1626年にヌルハチが死んで八男ホンタイジ(皇太極)が即位し、朝鮮では光海君がクーデター(仁祖反正)によって廃位されて甥の仁祖が即位していた。朝鮮の新政権は親明反後金政策を鮮明にし、明将毛文龍の鉄山駐兵を認めた。
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