戦時改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 05:04 UTC 版)
戦時体制となった後も、横須賀に軍港があった関係で存置されていた横須賀線の二等車も、1944年4月1日に廃止されることとなり、あわせて横須賀線電車の扉増設とロングシート化も計画された。モハ32形は歯数比はそのままで車体中央部に客用扉を1箇所増設して3扉化、サロ45形、クハ47形、サハ48形、サロハ66形は扉を2箇所増設して4扉化する計画であった。しかし、太平洋戦争の戦局悪化および横須賀線での二等車の再開に伴い、全車が改造されたのはサロハ66形のみで、サロ45形、クハ47形は一部のみ施行、モハ32形、サハ48形は1両の改造もないまま、計画は中止された。 未改造のまま残存した車両も、1943年には室内の手摺などの金属部分を撤去・回収したほか、横須賀線では1944年から混雑対策の座席撤去工事としてロングシート化、クロスシート・ロングシート併設化などが施工され、戦後になってもクロスシートの間引きなどを含めた改造が継続されたが、1948年5月頃からは撤去された座席の整備の一環としてモハ32形の全ロングシート化が進められた。 一方で、空襲の激化に伴い、二等車のまま残ったサロ45形5両の横須賀寄りに防弾のため周囲を鋼板で覆った「特別室」を設置した。
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戦時改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/19 01:35 UTC 版)
支那事変から太平洋戦争へと、戦争が長期化するにつれて鉄道も戦時体制に組み込まれていった。中でも、軍需工場で働く労働者を大量に輸送するため、乏しい資材をやり繰りして以下のような改造が実施された。
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戦時改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 09:31 UTC 版)
太平洋戦争中の1943年(昭和18年)、輸送力の増強を図るため、モハ34形の後位運転台を撤去してモハ33形に編入する改造が行なわれた。当初の計画では34011 - 34026(16両)に対して改造を施行し、33003 - 33018に改めることとされたが、戦局の悪化により1944年(昭和19年)に計画は中止され、結局9両が改造されたのみに終わった。34008は34015と振替え、34016改造車は当初33009で落成したが、1か月ほどで33008に改番された。番号の新旧対照は次のとおりである。 34012 → 33004 34013 → 33005 34014 → 33006 34008 → 33007 34016 → 33009 → 33008 34018 → 33010 34024 → 33016 34025 → 33017 34026 → 33018
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