戦時改造車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:44 UTC 版)
オハ41形 戦時輸送対応のためオハ31形をセミクロスシート化した車両。4両が戦災廃車され、残った車両はオハ31形に復元された。 オハフ40形 戦時輸送対応のためオハフ30形のデッキ仕切壁を撤去してセミクロスシート化した車両。定員は84名。1両が戦災廃車された。残った車両はオハフ30形に復元された。 マハ37形 戦時輸送対応のためマイネ37 2・4を格下げして三等車に改造した車両。定員は座席79名・立席21名の合計100名。車番は改造前と同一番号である。1両 (4) が戦災廃車された。残った2は1953年の車両称号規程の改正でマハ29形(0番台)に改称され、1964年に廃車された。緩急車形のマイネフ37も格下げ改造の対象となり、マハフ37形(座席73名・立席20名・合計93名)とすることが計画されていたが、終戦を迎えたにより実現せずに終わった。 マハ47形 戦時輸送対応のためマロネ37形(旧マロネ37300形)、マロネフ37形(旧マロネフ37500形)、スシ37形(旧スシ37700形)を格下げして三等車に改造した車両。定員は座席80名・立席20名の合計100名。 種車の形式別に下記に区分される。1 - 6・8 - 18・20 - 25・27・29・30・34 - 43マロネ37形を改造した車両。車番は改造前と同一番号である。戦災で7両が廃車され、13両がマハネ37形に改造され、残りはスロハ38形に改造された。 113 - 118・120・122 - 132マロネフ37形を改造した車両。車番は原番号に計画されたマロネ37形改造車の最終番号車となる112を足した番号となっている。戦災や事故で6両が廃車され、11両がスロハ38形に改造された。残った132は1953年の車両称号規程の改正でマハ29形(10番台)に改称され、1964年に廃車された。 161 - 171・173 - 198スシ37形を改造した車両。番号は原番号に寝台車改造車の最終番号である160を足した番号となっている。スシ37 12が改造される前に終戦となったため、172が欠番となっている。戦災や事故により6両が廃車された。1両がマヤ38形(初代)に改造され、3両が1953年の車両称号規程の改正前に廃車。残りは1953年の車両称号規程の改正でマハ29形(20番台)に改称された。1967年に廃車された。 他のマハ47形はスハ32系に属する。 スハシ48形 31戦時改造でスシ37 76の調理室と冷蔵箱、物置以外の客室設備を取り払い三等用腰掛を設備して調理室付三等車とした車両で、定員は50名とされた。改造は鷹取工場が担当。種車が食堂車用に台枠を改造しているために出入台を設けることができず、乗降は前後に連結された車両の出入台を利用することとなった。戦後の1946年(昭和21年)に幡生工場で元形式、元番号に復帰した。 他のスハシ48形はスハ32系に属する。
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