戦時措置法の発効
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 21:51 UTC 版)
「オクトーバー・クライシス」の記事における「戦時措置法の発効」の解説
トルドー首相の「まあ見ていろ」発言から3日後の10月16日、彼はケベック州首相ロベール・ブラッサとモントリオール市長ジャン・ドラポーの要請により、戦時措置法を発効した。午前4時ちょうどにこの法律は執行され、何百人ものケベック解放戦線メンバーとその共鳴者たちと疑われた人々が睡眠中のベッドから追い出され、そのまま拘束された。ケベック州およびカナダの他地域で行われた世論調査では、戦時措置法に対する圧倒的な支持が示された。後のケベック党党首ルネ・レベックは、当時はそれが必要な事態であったため執行に同意した、と書き残している。しかし、平時における戦時措置法の施行は、それが警察に逮捕と捜査に関する大きな力を与えることになるため、カナダ国内において激しい議論の対象となった。 同時にケベック州司法長官は、(戦時措置法とは別に)カナダ国防法に従って国防軍へ軍の配備を要求した。ケベックおよび他の国内基地から兵士が派遣され、重要地点および重要人物を守るためにケベック州警察(英語版)の指揮下に入った。これにより警察は、この危機に際してより積極的な任務に従事することが出来るようになった。 ケベックの外(主にオタワ地域)で連邦政府は、連邦オフィスとその従業員を守るためとして、自らの権限の下に軍を配備した。 戦時措置法によって増大する逮捕権と(ケベック州政府によって要求され制御されているものの)軍隊の配備という組合せは、どこから見ても戒厳令の施行を連想させるものであった。重大な違いは、軍が行政当局(この場合はケベック当局)に対するサポート役のままであり続け、司法的な機能を演じることがなかったことである。にもかかわらず、連邦議会の芝生に駐車された戦車という光景は、多くのカナダ人を当惑させるものであった。 戦時措置法が執行されると、全ての逮捕者に対して弁護団を結成する手はずが整えられた。加えて、ケベック州のオンブズマンであったルイス・マルソー(英語版)は、逮捕者からの不満を聴取するように指示された。そして、ケベック州政府は不当に逮捕されたいかなる人物に対してもその損害を賠償する旨に同意した。 1971年2月3日、法務大臣ジョン・ターナーは、戦時措置法により497人が逮捕され、うち435人が既に釈放されていることを報告した。その他の62人は拘留され、うち32人は重罪犯としてケベック州高等裁判所から保釈を拒否された。
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