戦争参加への抗議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 10:53 UTC 版)
平沢は幼少期、学生運動の映像を実兄である裕一と共に視聴し、裕一より何が起きているかを教えられた。 80年代後期に偶然訪れた老人ホームにて、太平洋戦争にて東南アジアへ派兵された元残留日本兵、菊池又衛に出会い、ガダルカナル島の戦いでの極限状態の体験を教えられた(詳細は「UNDOをどうぞ」を参照)。 1995年、1997年にはの東南アジアでの万国点検隊ツアーのDVDの売り上げを現地の老人ホーム、子供達の通う聾学校等にを寄付した。 2000年まで平沢は政治性のある抗議から距離を取っていたが、2001年のアメリカ同時多発テロ事件後、2003年から開始したイラク戦争でのアメリカの報復攻撃や自衛隊派兵へ等への疑問を持ち、同時期のソロアルバム制作中に訪れたカンボジア内戦の大虐殺の痕跡を目の当たりにした事も合わさり、その抗議として「殺戮への抗議配信」をインターネット上にて配信、無料ダウンロード楽曲を2曲を発表する(詳細はBLUE LIMBOを参照)。 平沢は「背景にある政治的な利害や、平和主義に情緒的に賛同はしない」とし、「国家は利害で動きます。自分の属する国家が結果として殺戮を容認する姿勢を見せようと、国民の一人として私は「それには同意しない」と、今ここに反戦の意思を表明します。」と綴り、戦時下に留まらず、世界が子供達を犠牲にする事に対して怒りを表明した。 2003年から2009年までの期間にはディストピアを前面に押し出した『BLUE LIMBO』、『白虎野』、『点呼する惑星』を発表。後に『ディストピア3部作』と名称される(詳細は各項目を参照)。2004年からは活動休止していたP-MDOELを「核」としたソロユニット、「核P-MODEL」を開始。ソロも含め、以降はあらゆるディストピア的要素をコンセプトとし昇華した作品を発表している。 また、音楽のテーマに取り入れながらも「インターネット上などの発信を含め、これらは音楽のプロセスの為ですから、私の立場を既存的なカテゴリーや集団主義的な話と一緒にしないでください」としており、平沢は自社を含め、政治的な活動や団体への参加や関わりは持たないとしている。
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