アメリカの報復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 08:00 UTC 版)
「アメリカ大使館爆破事件 (1998年)」の記事における「アメリカの報復」の解説
アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンはアルカーイダ関与の可能性を受け、8月20日に報復攻撃の実行をテレビ演説で発表した。攻撃の対象は、スーダンの首都ハルツーム郊外20kmにありアルカーイダの拠点と断定された化学兵器工場と、アフガニスタンのテロリスト訓練キャンプで、インド洋に展開している海軍艦艇からトマホーク巡航ミサイル数発で攻撃し、目標は完全に破壊された。 明確な証拠も無いままでの独断攻撃によって、クリントンは議会から激しく非難される。特にスーダンはすでにアルカーイダと決別していて、攻撃されたのは薬品とミルクを製造している工場であることがすぐに露呈、しかもスーダンの3分の1の需要をまかなっている重要施設であった。 FBIの捜査によって実行犯の一人である元アメリカ兵のアリ・ムハマドを逮捕した。ムハマドは「ヘルプ・アフリカ・ピープル」に出入りしており、大使館を偵察していたといわれる。彼がビン・ラーディンと共に作戦会議を行ったと証言したため、これを根拠として11月4日にビン・ラーディンを起訴した。 1999年11月15日には国際連合安全保障理事会において国際連合安全保障理事会決議1267が採択され、アフガニスタンを実効支配するターリバーンに対してウサーマ・ビン・ラーディンとその関係者の引き渡しが求められた。しかしターリバーン政権はこれを拒否し、ターリバーン政権に対して経済制裁が行われた。 クリントン政権は18名の兵士を失ったソマリア内戦介入失敗を引きずり、大規模な外征を控えていたが、このミサイル攻撃を皮切りに強硬策を次々と打ち出す。同年12月にはイギリスと共にイラクをミサイル400発で攻撃(砂漠の狐)、翌年にはコソボ紛争に介入し、NATOを率いてユーゴスラビアを空爆した。 2006年1月8日にアメリカ軍が行ったソマリア南部空襲により、この事件の容疑者を含むアルカーイダのメンバー数名を殺害したと公表した。その後もアメリカ政府は事件に関与したとされるコモロ出身のファズル・アブダッラー・モハメド(英語版)に500万USドルの懸賞金をかけ行方を追い、2011年6月7日にソマリア暫定連邦政府の警察組織によってモガディシオで射殺された。 2020年8月7日、爆破事件の首謀者の一人でアルカーイダのナンバー2となっていたアブ・ムハンマド・マスリが、テヘラン市内でイスラエル工作員2人に銃撃され死亡した。
※この「アメリカの報復」の解説は、「アメリカ大使館爆破事件 (1998年)」の解説の一部です。
「アメリカの報復」を含む「アメリカ大使館爆破事件 (1998年)」の記事については、「アメリカ大使館爆破事件 (1998年)」の概要を参照ください。
- アメリカの報復のページへのリンク