戦争回避三条件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:14 UTC 版)
11月19日、幕府征長軍は吉川経幹へ、以下の戦争回避の条件を正式に提示した。 一、三老臣の首級は請取 参謀之輩斬首之儀も承届候 五卿之儀も申出之通無遅引可指出候 且右に付附属之脱藩人之始末も早々可申達事 一、山口之儀は新規修築之事に付速破却可有之事 一、先達て戸川鉾三郎より申渡候追討之御主意之趣に付 吉川監物を以申出候 謝罪之廉々は有之候得共 尚大膳父子恐入之次第自判之書面を以早々可申出候 要約すれば、「五卿の引き渡しと附属の脱藩浪士の始末、山口城破却、藩主父子からの謝罪文書の提出」であった。出張幕閣や広島に集結していた諸侯の中には、軽すぎる処分に不満を持つ者もいたが、尾張・薩摩という二つの大藩の支持の前に沈黙せざる得なかった。 これらの条件について注意すべき点は、最終的な降伏条件ではなく、戦争回避の為の条件という事である。この時点では総督府の誰もが、戦後落ち着いた時期に別途沙汰があり、長州藩は改易ないし減封されると考えていた。西郷隆盛ですら、長州毛利は東北に数万石で減封すればよいと考えていた。ただ最初から領土削減を戦争回避の条件として持ち出すと、短期間での妥結が不可能となるため、この時は総督府側はあえて減封に言及せず、吉川も一切触れなかった。
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