戦争協力と解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 21:10 UTC 版)
1935年に中間派の全国労働組合同盟(全総)と統合したが、1937年の日中戦争では「聖戦に協力するためにストライキを絶滅させる」と宣言し、日本の軍国主義に協力した。戦争が進むにしたがって左翼労働組合は次々に弾圧されて崩壊していく中で、幹部は戦争政策に協力した。 1939年7月、産業報国会との統合に積極的だった中間派の全国労働組合同盟(全労)が分裂。全労は先に産業報国会に参加。 1940年7月、日本労働総同盟は自主解散し、産業報国会に組み入れられた。
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