戦争前の経緯とは? わかりやすく解説

戦争前の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 03:54 UTC 版)

楚漢戦争」の記事における「戦争前の経緯」の解説

滅亡後項羽根拠地である彭城現在の江蘇省徐州市)に戻り、自ら西楚の覇王名乗った圧倒的な軍事力背景政治上の主導権握った項羽は、紀元前諸侯対象大規模な封建を行う。主なもの以下の通りである。 漢中 - 劉邦旧秦の領地である関中は、本来ならば一番乗り果たした劉邦与えられる約束となっていたが、項羽はこれを反故にして、当時辺境の地であった漢中劉邦追いやった。 趙 - 張耳 代 - 趙歇趙王であった趙歇を趙の北辺の代に国替えし、項羽付いて関中にまで従軍した趙の宰相張耳常山王として、趙の旧領与えた陳余項羽とともに従軍しなかったため、南皮与えられたに過ぎなかった。 九江 - 英布 衡山 - 呉芮 臨江 - 共敖英布楚軍将軍として多大な功績挙げたので、九江王として六(現在の安徽省六安市)に都させた。また、英布の舅で元県令呉芮衡山王、部下共敖臨江王として治めさせた。 遼東 - 韓広 燕 - 臧荼元の燕王韓広遼東移し項羽協力した燕の将軍臧荼燕王にした。 膠東 - 田巿 斉 - 田都 済北 - 田安元斉王田巿移して膠東王にして、項羽協力した斉の将軍田都斉王にした。そして項羽親しい斉の王族田安を済北王として、斉を三分したまた、田巿擁立者であり、斉の実質的な支配者であった田栄項羽協力しなかったので、何も与えられなかった。 西魏 - 魏豹 河南 - 申陽 殷 - 司馬卬かつて魏の公子魏咎の弟(従弟とも)で、項梁項羽叔父)を頼った魏豹に魏を分割して西部与えて西魏王に封じ武臣張耳の将で魏の東部に趙の将軍申陽をおいて河南王とした。また、殷の故地にやはり趙の将軍である司馬卬封じて殷王とした。 韓 - 鄭昌韓王成劉邦親密だったことから、項羽は彼を抑留し、自分部下鄭昌立てて韓王とした。 このように項羽封建基準となったものは、その時功績ではなくあくまでも項羽との関係が良好か否かであった故にその結果はかなり不公平なものとなり、諸侯大きな不満を抱かせるものとなった。 さらに項羽は、それまで奉じていた懐王義帝という称号与えて辺境の郴へ流した上で九江王の英布命じて殺害させた。また、韓王成領国である韓へ帰ることを許さずその後范増命じて殺害させた。このため韓王成仕えていた張良劉邦の下へと走らせることになった

※この「戦争前の経緯」の解説は、「楚漢戦争」の解説の一部です。
「戦争前の経緯」を含む「楚漢戦争」の記事については、「楚漢戦争」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戦争前の経緯」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦争前の経緯」の関連用語

戦争前の経緯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦争前の経緯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの楚漢戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS