戦争の体験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 05:25 UTC 版)
「オットー・シュトラッサー」の記事における「戦争の体験」の解説
第一次世界大戦が起こったとき、オットーはグレゴールや次兄のパウルと共に出陣し1918年の3月までには三人とも揃って将校に昇進しており、三人とも鉄十字章を受章している。 オットーは1914年8月1日、志願兵として16歳で出征し、二度負傷して最後には砲兵中尉に昇進し、一級鉄十字章やバイエルン戦功章(de)を受勲し、更に、敵の砲台を捕獲し敵兵を捕虜にした功績によって、プロイセンのプール・ル・メリット勲章にあたるバイエルンのマックス・ヨーゼフ勲章 (de)叙勲該当者としても申告された。叙勲になればオットーも貴族待遇の称号をもらえるはずだったが、革命が起こったためにこの勲章はもらい損ね貴族にはついになれなかった。従軍中、社民党の機関誌を購読しており「赤い中尉(der rote Leutnant)」と呼ばれた。 この戦争においてオットーは、後の思想展開につながる幾つかの体験をしている。戦場における直線的行動のパターン。大戦末期の1919年、装備のゆきとどいた新鋭のアメリカ軍に初めて遭遇したときの驚きとその物量差に対するドイツ軍の覆いがたい敗北感を彼は記しており、この体験は、後に多くの右翼の間でもて囃された『背後短剣』の神話と彼が無縁であったことの関係をもつ。また、ある下士官にいじめられた末に自殺した同僚を目撃したり、部隊の兵士たちに過酷な事務作業を強要する下士官の態度に接した折に抱いた嫌悪感は、後の「伍長勤務」ヒトラーをとりまく連中の官僚的下士官根性や官僚主義そのものに対する彼の嫌悪感と反発に直結している。権威をやたら振り回したがる下士官連中とは異なり、貴族的であると同時に民主的にことを取り決める洗練された将校団の姿勢にオットーは感銘を隠そうとはしなかったが、この折に彼が抱いた少数エリート思想は、後に結成される『黒色戦線』の組織構想の中核をなしている。また、1917年、彼がルーデンドルフの指令にもとづいて祖国愛や義務について兵士たちを教化宣伝する任務についたとき、年上のある兵卒から「土地を持たぬ自分にとって、祖国とは一体何を意味するのか?」と質問されて狼狽し「急所を突かれた」ような感を覚えた折の体験は、後に彼の「ソーシャリズム」感情を育てる伏線となる。 1918年9月、坐骨神経痛で馬に乗れずミュンヘンの病院に入院したが11月6日に退院し、ここで革命と敗戦を迎える。
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