畑の家のただ起きている祭かな
作 者 |
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季 語 |
祭 |
季 節 |
夏 |
出 典 |
畑の家 |
前 書 |
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評 言 |
掲句は元茨城県現代俳句協会会長.「炎帝」創刊主宰.「海程」同人鴻巣又四郎の二十歳頃の句である。この句から句集名を「畑の家」としている。 氏は茸狩りの最中に行方不明となり、5ヵ月後山に抱かれ草叢を褥に星を見ている様で発見された。その間どんな夢を見ていたのだろうか。 氏には予感したような句がある。 森の館で眠りて春の星となる 蝶凍てて翅をたためば終る旅 それは正に誰にも邪魔されることのない星を見つめ星となる森の館だったのだろう。4月はじめ本当に春の星となって家族の元に帰ってきた。 大正10年生れ。昭和17年第2次世界大戦に入営兵となり 中支.ビルマの最前線で参戦した。生死をかけた戦争の体験は数々の気迫の句を生み、その後の句作の底流となった。 明日は死ぬ命いたわる防蚊具 昭和47年「炎帝」を創刊主宰となる。本業は床屋である。 床屋いうとても鶴にはなれないと 鶴は長寿、容姿端麗の鳥である。鶴に化身して美しく長寿を得たいという誰もが持つ願望を、人には分相応があると軽く流すあたりが心憎い。 兵役直前の句に氏の俳句の原点とも言える句がある。 畑の家のただ起きている祭かな 混沌の時代を背景に、祭という非日常の昂ぶりの余韻。その興奮を静かに詠んでいる二十歳の青年が居る。 |
評 者 |
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備 考 |
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