戦争のための資金繰り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 05:09 UTC 版)
「タデウス・スティーブンス」の記事における「戦争のための資金繰り」の解説
スティーブンスはリンカーン政権の役人たちと戦争遂行のための資金繰りについて密接に動いた。下院歳入委員会の委員長に指名されてから翌日には戦争債券に関する報告を行った。議会はリンカーンが既に招集していた兵士に給与を支払い、それに続いて戦争を遂行するために負う借金の管理を認めた。これらの法とさらにその続きの成立をスティーブンスは下院を通じて推進した。カッパーヘッド(英語版)(戦争反対派)による遅延戦術を破るために下院における議論時間を1分の半分の単位まで制限を付けた。 1862年の法定通貨法は、金や銀の裏付けが無く、アメリカ合衆国で初めて政府の信用にのみ基づいて通過を発行するものだったが、その成立にスティーブンスが重要な役割を果たした。戦争債券のような初期の間に合わせ手段は、戦争が長引くことが分かってくると失敗だった。1863年、スティーブンスは国定銀行法の成立を支援した。これは銀行が保有を求められる連邦債権の量に応じて通貨の発行を制限するものだった。このしくみはその後半世紀も続き、1913年の連邦準備制度で置き換えられた。 法定通貨法は政府が支払う金を紙幣で行うことを認めたが、スティーブンスは、国債の利子をグリーンバック(ドル紙幣)で支払うことについて、上院の合意を得られなかった。紙幣の価値が低下しており、スティーブンスは金の投機筋を非難し、1864年6月には財務長官のサーモン・チェイスと相談したうえで、ゴールド法とよばれることになる法を提案した。これはブローカーによる売却を禁止すること、あるいは先渡しで金市場を廃止することだった。この法は6月に議会で成立した。組織だった金市場が無くなったことによる混乱で、紙幣価値の下落がさらに進行した。実業界からのきつい圧力の下で、議会はこの法の成立から12日後の7月1日に撤回した。1864年後半に北軍の勝利が見えてきた中で紙幣価値が回復してきたときでもスティーブンスは満足せず、金貨の量に応じて紙幣に割増金を払うことを犯罪とする法案を提案した。この案は成立しなかった。
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