成人映画界へ転向
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1964年4月に佐藤重雄が設立した映画製作会社・轍プロダクションが、大映東京撮影所を退社した水野洽を監督に起用して成人映画『危険な人妻』を製作、同年9月に公開されたが、光岡はこれに主演、以降、成人映画に転向する。轍プロダクションでは同年12月に公開された『女はそれを待っている』(監督経堂三郎)にも主演、本木荘二郎のシネユニモンドが製作・配給、本木が高木丈夫の名で監督、同年10月14日に公開した『洋妾 らしゃめん』、同じく公開日不明の『白い手袋の秘密』に主演している。本木の『洋妾 らしゃめん』を光岡の成人映画転向第1作とする資料もある。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩、佐伯秀男を挙げているが、城山路子と光岡早苗は同一人物であり、重複している。 同年11月に後藤充弘が設立した葵映画が第1作として製作した『赤い肌の門』の監督に『危険な人妻』の水野洽が起用されて片岡均の名で監督、同作の主演に光岡が起用され、同作は翌1965年(昭和40年)1月、葵映画が配給して公開された。光岡は同作をもって城山 路子と改名する。当時、光岡は、中野区城山町(現在の同区中野1丁目)に住んでいた。同じころNHK大阪放送局から葵映画に引き抜かれた西原儀一は、入社第1作として『激情のハイウェー』を監督しているが、当時の映倫(新映倫、映画倫理管理委員会)の削除基準を知り、急遽、当時としては短いわずか3日間の撮影期間と低予算で『いろ地獄』の製作を計画、城山(光岡)は同作の主演に起用された。映倫は同作を一般映画のサスペンス映画として評価、作品の評価も高かったが、成人映画として売り出したかったため、困ったと西原は後述している。同作は同年7月に映倫の審査を通過して成人映画にレイティングされ、同年9月7日に公開された。城山(光岡)はその後も葵映画で、水野洽が片岡均の名で監督した『流転の愛欲』(1965年9月公開)、西原儀一が千葉隆志の名で監督した『くずれる女』(1966年4月5日公開)の2本に出演、いずれも主演した。 1966年(昭和41年)8月に公開された『餌』(監督向井寛)に出演したのを最後に、引退した。引退時期に公開された最後の作品は、同年10月に公開された『女の砦』(監督片岡均)、『人妻の秘密』(監督山本晋也)である。以降は、東中野でバーを経営していたが、1977年(昭和52年)、小川欽也が小川和久の名で監督した『熟れた夫人の乱れ咲き』(製作・配給大蔵映画)に「光岡早苗」の名で出演している。同作は同年6月28日に公開された。光岡が経営したバーは、2005年(平成17年)の時点で経営者であった隆見夏子(小林悟夫人・初枝)によれば、ある時点で映画監督の小林悟(1930年 - 2001年)が同店の経営を引き継いだという。その後の光岡の消息は不明である。2008年(平成20年)、アメリカで『餌』のフィルムが発見され、同年5月13日にDVDが発売された。
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