性格俳優としての開花
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性格俳優への転機は、1977年の東京宝塚劇場公演『王将』で坂田三吉を演じたことだった。「役者として年齢的にも経済的にもラクをしたがりそうな時期だったので、これはいかん、それを乗り越えるためには冒険を」 という意気込みで臨んだものだった。 以降は、舞台出演もクレージーキャッツとしての公演・ライブに替わって、単独での演劇主演・助演が増えていく。1970年代から80年代初頭にかけては時代劇コメディ『大江戸三門オペラ』や、悪徳政治家が暗躍する『にぎにぎ』などの喜劇作品に主演したほか、谷啓率いるコミックバンド『スーパーマーケット』とのジョイントショーなど数々の作品に出演した。『シカゴ』日本初演(1983年)でのインチキ弁護士・ビリー役のように、無責任男の延長線上に拓いた新境地も少なくない。 1985年には「東宝撮影所でいつもすれ違っていて、そのたび映画に出て欲しいと思っていたのに機会に恵まれなかった」と語る黒澤明の熱烈なラブコールを受けて、『乱』に助演した。また、木下恵介監督の『新・喜びも悲しみも幾歳月』(1986年)では、日本アカデミー賞助演男優賞を受賞。ただし、喜劇俳優としてのイメージを捨てたわけではなく、1984年には当時気鋭の若手だった石井聰亙が小林よしのりの原案を映画化した異色コメディ『逆噴射家族』に出演する。この映画ではアナーキーな老人役を演じて、主題歌『逆噴射家族借景』を共演の小林克也と歌う活躍も見せた。晩年の小林製薬のCMでも、クレージー時代を髣髴させる高笑いを披露している。 1990年には長年在籍していた東芝EMIとの契約が切れ、当時実質上の子会社であったファンハウスに移籍したことが転機となり、クレージー時代からのヒット曲をメドレーにしたリバイバルシングル『スーダラ伝説』が大ヒットし、オリコンベスト10入りを果たした。そしてこの年のNHK紅白歌合戦にも久々に出場した(この紅白での歌い方について、「だって歌いながら笑ってたでしょ? あんなものを紅白で…」と、後日自らを戒めていた)。 また、1993年からは明治座での堺正章座長公演への客演も恒例化し(1996年のみ単独主演『大江戸気まぐれ稼業』)、2002年まで出演したほか、中日劇場で『名古屋嫁入り物語』の舞台版を同じく2002年まで続けた。
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