思想家蘇峰とは? わかりやすく解説

思想家蘇峰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:09 UTC 版)

徳富蘇峰」の記事における「思想家蘇峰」の解説

思想家言論人としての蘇峰は、その思想振幅大きく行動変化富み活動範囲多岐にわたるため、その全体像をつかむのは容易ではない蘇峰自身も、 維新以前に於いては尊皇攘夷たり、維新以降に於いては自由民権たり、而して今後に於いては国民的膨張たり。 と述べている(「日本国民の活題目」、『国民の友』第263号)。それについて、「変節漢」あるいは時流便乗派という否定的な評価があることも事実であり、終戦後1946年昭和21年)に同志社大学学長となった田畑忍蘇峰向かって「どうぞ先生もう一度民主主義者になるような、みっともないことをしないでください」と述べたという。 それに対し松岡正剛は、敬虔なクリスチャン若き熊本傑物平民主義者、国民主義者、皇室中心主義者、大ジャーナリスト文章報国生きた言論人、そのいずれでもあったが、しかし、そのなかのどれかひとつに偏った人ではなかった、そして、歴史舞台現場から退くということのなかった人であると評価している。 戦前における国権主義的な言論活動については評判悪く戦後の日本史学界では、上述蘇峰日本国民の活題目」にみられるような情勢判断こそが近代日本アジア進出さらには軍国主義台頭許した元凶ではないかとする見解少なくない。 その一方で久恒啓一蘇峰人びとあたえた影響力大きさを「影響力広さ×影響力深さ×影響力長さ」で示すならば、蘇峰近代日本社会きわめて大きな影響あたえた人物ほかならないとしている。 近代日本思想史を語るうえで重要な三国干渉後の「蘇峰変節」については、今日では仮に軽挙妄動部分があったとしても決し蘇峰自身内部では思想上の変節ではなかったとする評価力を得ており、こうした見解海外研究者であるジョン・ピアーソン(1977年)、ビン・シン1986年)によって示されている。すなわち、かれらは蘇峰はむしろ時勢即して最良歴史的選択構想し続けた思想家であり、上述日本国民の活題目」における判断は、変化する時代の潮流のなかで、その時々において最も妥当なものでなかったかと論じ、むしろ、日本人がどうして蘇峰こうした判断精緻化する方向に向かわなかったのかに疑義呈している。

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