思想家李春生
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1896年2月、初代台湾総督樺山資紀は島民保護における李春生の功績に基づき二ヶ月余りにわたる日本遊歴に李春生を招待する。李春生はその時の見聞を「東遊六十四日随筆」に記し出版する。李春生はこの東遊を境に政財界から距離を置き「社会的李公は終わり、執筆の李公が始まる」と記載されるように社会教育、救済事業、宗教哲学及び著述に専念し、著書《天演論書後》、《東西哲衡》、《哲衡續集》、《宗教五德備考》、《耶穌教聖讖闡釋備考》、《聖經闡要講義》などを執筆する。著書「東西哲衡」が東西哲学に精通する哲学思想書であることに鑑み、日本の宗教思想家である中西牛郎氏は李春生の伝記を《泰東哲学家李公小伝》と命名し、台湾三百万人中、学識者多し、資産家多し、名望家多しと言えども、学識、富、名声の全てを兼備えた者稀なり、李春生はその一人であると明言した。1924年10月4日李春生はその社会的功績に基づき、大正天皇より従六位勲五等の叙勲を受ける。
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