従来説への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 13:48 UTC 版)
「ラティフンディウム」の記事における「従来説への批判」の解説
アーノルド・J・トインビーは『Hannibal's Legacy: The Hannibalic War's Effects on Roman Life』の中で、第二次ポエニ戦争によってラティフンディウムが加速し、中小農民が没落して無産市民(プロレタリイ)化した結果、彼らが主力を担っていたローマ軍団の弱体化が起り、マリウスの軍政改革によって拾われた彼らは「内乱の1世紀」において有力政治家の私兵となって戦い、最終的な勝利者となったオクタウィアヌスが帝政を敷いたとし、これが長らく定説として広まっている。 しかし、上述の通り、当時の史料にほとんど使われていないことから、この用語は後世の歴史家によって使用されている概念にすぎず、非常にあいまいな使われ方をしている。『オクスフォード古典学辞典』においても、 紀元前3世紀のイタリア統一後に南部で行われた大農園 マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(大カト)の『農業論』にある、奴隷を使役したワインやオリーブオイル生産用のウィッラ リキニウス・セクスティウス法によって規制された500ユゲラ以上の土地 帝政以降ウィッラを過去のものとした大土地所有制 と、様々な意味があるとされているが、イタリア統一後の南部地方は長らく自治を保っており、ローマ市民権を持った中小農民の没落が関係あるとは考えにくい。また、法規制後の合計500ユゲラの土地では、定説のようなラティフンディウムを展開出来たとも考えにくい。そのため、共和政期のラティフンディウムについては、ウィッラがどのような展開を見せていたかが重要となるという。 このラティフンディウムによる中小農民の没落の根拠とされる史料は、ふたつある。 古来、農地は控えめに所有すべしというのが、人々の考えだった。ウェルギリウスも然り。実際、ラティフンディアはイタリアを破滅させ(latifundia perdidere Italiam)、今や属州をもそうさせようとしている。 大プリニウス『博物誌』18.35 この大プリニウスの一節だが、例えばモーゼス・フィンリーは懐古的な修辞技法ではないかと考えており、事実かどうか疑わしいとする説がある。 ティベリウスがヌマンティア戦争へ赴く際、エトルリアを通りかかると、荒れ果てた土地が目に入ってきた。また、そこで耕作に従事しているのは、外国人奴隷たちであったのだ。それを知った彼の心中にある政策が浮かんだ。しかし、それは彼らの破滅への第一歩であったのだ。 プルタルコス『対比列伝』Ti.グラックス伝、8.7 エトルリアは紀元前7世紀末にはワインを大量生産していたことがわかっており、その後もローマとの強い経済関係を結んでいることから、長年にわたって商品作物を扱っていたことがうかがわれ、エトルリアが例外的であった可能性もある。近年行われた発掘調査によって、エトルリアにおける定説のような中小農民の没落については否定的な見解が出ており、奴隷を使役するウィッラの増加は、グラックス時代の紀元前2世紀ではなく、紀元前1世紀であるとの説が有力となってきている。また、ウィッラの増加についても地方差がかなりあるため、共和政期に全体的なラティフンディウムの展開が起っていたとは考えにくいという。 このように、少なくとも共和政期においては、ラティフンディウムの展開について、定説のように扱うことに否定的な意見が出てきている。
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