広路町 (名古屋市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/22 12:23 UTC 版)
広路町
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---|---|
北緯35度8分16.29秒 東経136度57分34.28秒 / 北緯35.1378583度 東経136.9595222度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | 昭和区 |
面積 | |
• 合計 | 0.33427602 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,955人 |
• 密度 | 8,800人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
466-0834[WEB 3]
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市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
広路町(ひろじちょう)は、愛知県名古屋市昭和区の地名。現行行政地名は広路町。住居表示未実施[WEB 5]。8つの小字が設置されている。
地理
名古屋市昭和区南東部に位置する。東は天白区八事山、西は隼人町・南山町、南は天白区音聞山・八事石坂・八事天道・瑞穂区弥富町、北は滝川町・八事本町に接する。
現存する町域は、概ね国道153号南側や地下鉄八事駅周辺にある字石坂・北石坂などの区域である。
字一覧
広路町の小字は以下の通り[WEB 6]。消滅した字については背景色 で示す。
字 | 字 |
---|---|
荒田(あらた) | 伊勝(いかつ) |
池下(いけした) | 池田(いけだ) |
石川(いしかわ) | 石戸(いしこ) |
石坂(いしざか) | 石流(いしながれ) |
石仏(いしぼとけ) | 稲留(いなどめ) |
茨原(いばらはら) | 杁中(いりなか) |
梅園(うめぞの) | 裏田面(うらどうも) |
大久手(おおくて) | 大島(おおしま) |
大藪(おおやぶ) | 折戸(おりど) |
杜若(かきつばた) | 掛下(かけした) |
上山(かみやま) | 萱場(かやば) |
川名(かわな) | 川名山(かわなやま) |
川向(かわむかえ) | 川原(かわら) |
北石坂(きたいしざか) | 北西野(きたにしの) |
北畑(きたばた) | 北山(きたやま) |
清須山(きよすやま) | 鞍骨(くらほね) |
五軒家(ごけんや) | 小坂(こさか) |
駒方(こまがた) | 界松(さかいまつ) |
桜山(さくらやま) | 山下山(さんげやま) |
三反田(さんたんだ) | 三反畑(さんたんばた) |
塩付(しおつけ) | 志賀山(しがやま) |
下構(しもがまえ) | 下丸屋(しもまるや) |
松風園(しょうふうえん) | 白洲(しらす) |
新林(しんばやし) | 新町(しんまち) |
瀬木(せぎ) | 刺身(そりみ) |
田子代(たごしろ) | 田畑(たはた) |
長田(ちょうだ) | 天神山(てんじんやま) |
藤六山(とうろくやま) | 戸田口(とだぐち) |
長池(ながいけ) | 中田(なかだ)[注釈 1] |
永田(ながた) | 中山(なかやま) |
仁座山(にざやま) | 西畑(にしばた) |
畑田(はただ) | 八田山(はったやま) |
隼人(はやと) | 針原(はりはら) |
半右衛門山(はんねやま) | 雲雀ケ岡(ひばりがおか) |
檜木山(ひのきやま) | 深田(ふかだ) |
藤成(ふじなり) | 古観音(ふるかんのん) |
前田(まえた) | 前田面(まえどうも) |
前畑(まえばた) | 南山(みなみやま) |
南分(みなみわけ) | 溝後(みぞのごう) |
宮裏(みやうら) | 御幸川(みゆきがわ) |
向山(むかえやま) | 村北(むらきた) |
村西(むらにし) | 安田(やすだ) |
山ノ田(やまのた) | 山ノ田(やまのた) |
山崎(やまさき) | 山花(やまはな) |
若宮前(わかみやまえ) |
歴史
前身である愛知郡広路村は、明治期に川名村、伊勝村、石仏村、藤成新田、五軒家村が合併して成立した村である。広路村は名古屋市編入後に広路町と改称されるが、町名整理により多くの領域が他の町名に編入された。
現在の昭和区広路町の残部は、江戸期まで愛知郡川名村と八事村の境界付近であった地域にあたり、「川名山」「八事山」「川名境」などと称される山林地帯であった。[要出典]
町名の由来
飯田街道が、村の中央を通っており、これが当時としては広い通りであったことに由来するという[1]。
行政区画の変遷
- 1878年(明治11年) - 愛知郡川名村、伊勝村、石仏村、藤成新田、五軒家村が合併して愛知郡広路村が成立[2]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴って単独村制を行い、愛知郡広路村となる[2]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 合併に伴い、愛知郡御器所村大字広路となる[2]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 合併に伴い、名古屋市中区広路町となる[2]。
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)3月15日 - 愛知郡天白村大字八事および南区弥富町の各一部を編入する[2]。同時に小字の新設・改編がなされた[5]。
- 広路町字梅園←広路町(字石坂)の一部より成立。
- 広路町字松風園←広路町(字石坂)・弥富町(字上山)の各一部より成立。
- 広路町字隼人←広路町(字池田)の一部より成立。
- 広路町字雲雀ケ岡←広路町(字石坂)・弥富町(字橿ノ木山・上山)の各一部より成立。
- 広路町字石坂←広路町(字池田)の一部を編入。
- 広路町字上山←弥富町(字橿ノ木山)の一部を編入。
- 広路町字南山←広路町(字池田)の一部を編入。
- 1931年(昭和6年)
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)
- 1936年(昭和11年)7月15日 - 中区広路町の一部が東区広路町となる[2]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 中区広路町が昭和区成立に伴い、同区広路町となる[2]。また、東区広路町が千種区広路町となる[2]。
- 1938年(昭和13年)12月1日 - 千種区広路町の一部が城木町・南明町・日岡町・大島町に編入される[15]。また、昭和区広路町の一部が西畑町・山花町・花見通・駒方町・檀渓通・川原通・萩原町・元宮町・折戸町・安田通・川名町・川名本町・広路通・広路本町・南分町・長戸町・塩付通・石仏町に編入される[16]。
- 1940年(昭和15年)10月10日 - 千種区広路町に昭和区広路町の一部が編入される[2]。
- 1941年(昭和16年)12月24日 - 昭和区広路町の一部が石仏町に編入される[2]。
- 1942年(昭和17年)11月27日 - 千種区広路町の一部が大島町・田代本通・川崎町・幸川町に編入される[17]。また、昭和区広路町の一部が山中町・向山町・前山町・伊勝町・福原町・神村町・田面町・山花町・花見通・川原通に編入される[18]。
- 1943年(昭和18年)2月15日 - 昭和区広路町の一部が伊勝町に編入される[7]。
- 1945年(昭和20年)9月20日 - 千種区広路町の全域が城木町・南明町・日岡町・大島町・幸川町に編入され消滅[15]。また、昭和区広路町の一部が福原町・神村町・田面町・元宮町に編入される[18]。
- 1950年(昭和25年)7月15日 - 昭和区広路町の一部が花見通・川原通・元宮町・折戸町・安田通・川名町・川名本町・広路通・広路本町・南分町・塩付通・石仏町に編入される[16]。
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 昭和区広路町の一部が塩付通・陶生町に編入される[2]。
世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
広路町 | 1,496世帯 | 2,955人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
2000年(平成12年) | 2,997人 | [WEB 7] | |
2005年(平成17年) | 3,083人 | [WEB 8] | |
2010年(平成22年) | 2,991人 | [WEB 9] | |
2015年(平成27年) | 3,099人 | [WEB 10] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
字 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
石坂 | 名古屋市立八事小学校 名古屋市立滝川小学校 |
名古屋市立駒方中学校 名古屋市立川名中学校 |
尾張学区 |
梅園 | 名古屋市立八事小学校 | 名古屋市立駒方中学校 | |
北石坂 | 名古屋市立滝川小学校 | 名古屋市立川名中学校 | |
松風園 | 名古屋市立八事小学校 | 名古屋市立駒方中学校 | |
隼人 | |||
雲雀ヶ岡 | |||
南山 |
施設
-
イオン八事店
-
八勝館
交通
鉄道
道路
その他
日本郵便
脚注
注釈
- ^ この字は1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』に広路村の小字として記載があるが、1923年の『愛知郡誌』や『日本 町字マスターデータセット』には記載がない。
出典
WEB
- ^ “愛知県名古屋市昭和区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2017年10月7日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年1月23日). 2019年1月23日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2015年10月21日). “昭和区の町名一覧”. 名古屋市. 2017年10月7日閲覧。
- ^ “名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2020年11月20日閲覧。「名古屋市昭和区広路町」のページを参考とした。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2005年7月1日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成12年国勢調査) 昭和区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2007年6月29日). “平成17年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 昭和区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2012年6月29日). “平成22年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 昭和区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2017年7月7日). “平成27年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年01月06日閲覧 (PDF)
文献
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 363.
- ^ a b c d e f g h i j k l 名古屋市計画局 1992, p. 796.
- ^ 名古屋市会事務局 1964, p. 92.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 807.
- ^ 『名古屋市会史 第5巻』p.1421
- ^ 名古屋市計画局 1992, pp. 793–795.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 794.
- ^ 名古屋市計画局 1992, pp. 795–798.
- ^ 名古屋市計画局 1992, pp. 796–978.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 735.
- ^ 名古屋市計画局 1992, pp. 793–794.
- ^ 「名古屋市告示第百九十號」『名古屋市公報』第332号、名古屋市役所、2028-2056頁、1934年9月17日。
- ^ 「名古屋市告示第二百六號」『名古屋市公報』第334号、名古屋市役所、2091–2092頁、1934年10月1日。
- ^ 「告示第八百三號」『愛知県公報』第1121号、愛知県、1179頁、1934年10月30日。
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, pp. 733–734.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, pp. 794–796.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 734.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, pp. 794–795.
参考文献
- 愛知県教育会 編『明治十五年愛知県郡町村字名調』愛知県教育会、1932年6月1日(原著1882年) 。
- 名古屋市会事務局 編『総合名古屋市年表』 昭和編 一、名古屋市会事務局、1964年11月25日。全国書誌番号:49011383。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。 ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
関連項目
外部リンク
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