広路村とは? わかりやすく解説

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広路村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 02:30 UTC 版)

ひろじむら
広路村
廃止日 1906年5月10日
廃止理由 新設合併
御器所村、広路村御器所村
現在の自治体 名古屋市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
愛知郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,953
(『角川日本地名大辞典 23 愛知県』1152頁、1891年)
隣接自治体 田代村弥富村瑞穂村、御器所村、千種町
広路村役場
所在地 愛知県愛知郡広路村
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広路村(ひろじむら[1][2])は、愛知県愛知郡にあった。現在の名古屋市昭和区の一部にあたる。

地理

山崎川の上流域に位置していた[2]

歴史

  • 1878年(明治11年)愛知郡川名村、伊勝村、石仏村、藤成新田、五軒家村が合併して広路村が設立[2]
  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、愛知郡広路村が単独で村制施行し、広路村が発足[1][2]。大字は編成せず[2]
  • 1899年(明治32年)名古屋区裁判所広路出張所(仮庁舎:近藤善左衛門宅)が開設[2]
  • 1906年(明治39年)5月10日、愛知郡御器所村と合併し、御器所村が存続して廃止された[1][2]。合併後、御器所村広路となる[2]

地名の由来

次の諸説あり[2]

  1. 飯田街道が地内中央部を通り、広い道路であったから。
  2. 広路学校の名称から。

産業

  • 農業

教育

  • 1877年(明治10年)石仏村松栄学校を太平寺付近に移転し、広路学校に改称[2]。1887年(明治20年)八事学校・中根学校が尋常小学広路学校の分校となる[2]。1892年(明治25年)広路学校を広路尋常小学校(現名古屋市立広路小学校)に改称[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』675頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』1152頁。

参考文献

関連項目




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