年刊誌『青騎士』とは? わかりやすく解説

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年刊誌『青騎士』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:34 UTC 版)

青騎士」の記事における「年刊誌『青騎士』」の解説

1911年6月19日カンディンスキーマルクに、図版論文掲載した芸術年刊誌刊行することを提案しマルク同意したマルク友人であったアウグスト・マッケも、早くからこの計画かかわった年刊誌編集は、展覧会によって青騎士知名度高めるまで延期されたが、同年10月には準備が非常に活発になった。カンディンスキー同時代ロシアの芸術家による論文を何点かドイツ語訳して誌面のほぼ半分書き、また自分取り組んでいた芸術上の問題を『フォルム問題について』と『舞台構図について』の二つ論文追究したマルクはとくに同時代芸術運動との関係について言及した。またシェーンベルク音楽と歌詞との関係について書きシューベルト彼の歌曲集』の詩に関心を持たなかった点を引用し音楽における文学的内容有用性否定した年刊誌表紙には、馬にまたがる騎士が青を基調描かれている。これはカンディンスキーよるものであった。 この「青騎士計画庇護者美術蒐集家のベルンハルト・ケーラーと、資金面での援助約束した発行者のラインハルト・ピーパーであった。そしてこの計画もう一人パトロンは、美術史家美術館専門家フーゴ・フォン・チューディであった。彼は年刊誌のために141図版提供したが、刊行前に亡くなった。年刊誌『青騎士』は19記事3つの楽譜付録とともに第一回青騎士」展のすぐ後、1912年5月半ばミュンヘンピーパー書店から刊行された。第一版1200印刷されたがこれは順調に売れ1914年の夏には再版され、数カ国語翻訳された。 「フランスドイツロシアでの最新絵画運動、そしてそれらが見せる、ゴシックやプリミティフ、またアフリカ偉大な東洋とともにある、自然で力強く表現的民族芸術、子どもの芸術主題へのかすかな関連、特にヨーロッパにおける最も新し音楽運動、そして我々の時代における新し舞台理念」――年刊誌『青騎士』のコンセプトはこのマルク言葉明確に表れている。 挿入され数多く図版は非常に多様ユニークなのだった青騎士携わった芸術家作品もとよりピカソセザンヌ同時代様々な国の画家作品、またアジアアフリカ民族工芸品写真や、日本中国の絵画中世ドイツ木版画子供描いた絵、さらにシェーンベルクヴェーベルン楽譜付録であったシェーンベルク論文と絵に加えて「心のしげみ」(独:Herzgewächse)の楽曲をこの『青騎士』誌に寄稿している。 しかし、「年刊誌」として計画されたこのプロジェクトは、創刊号刊行したのみで、第2巻企画途上放棄されてしまった。(#青騎士の終焉参照

※この「年刊誌『青騎士』」の解説は、「青騎士」の解説の一部です。
「年刊誌『青騎士』」を含む「青騎士」の記事については、「青騎士」の概要を参照ください。

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