青騎士の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:34 UTC 版)
グループのメンバーどうしの関係は、カンディンスキーの占めていた支配的な位置によって次第に冷めていった。しかし年刊誌プロジェクトの頓挫の原因は、決して青騎士内部における不一致の拡大だけではなく、周囲の政治的状況にもあった。1914年、第一次世界大戦が勃発するとカンディンスキーはロシアへ戻らざるを得なくなり、1916年にはミュンターと別れた。ミュンターはこれを境にあまり絵筆をとらなくなった。カンディンスキーとおなじくロシア人であったヤウレンスキーとヴェレフキンもまた同様にドイツを去った。大戦に従軍したマルクとマッケはフランスで戦死した。ミュンヘンにおける、現代芸術の前衛の地としての役割は青騎士の離散とともに終わりを迎えた。
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