青騎士の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:34 UTC 版)
カンディンスキーとミュンターは1909年から一緒にムルナウに住み、近くのジンデルスドルフにはマルクとカンペンドンクが居を構えた。 ミュンヘン新芸術家協会との諍いの後、カンディンスキーが協会を去った1911年から、カンディンスキーとマルクは協働して新たな芸術運動に精力的に取り組んだ。秋にはムルナウで年刊誌刊行のための編集上の相談と、その決定的な部分の準備作業とが行われ、同年冬には作品を選定して展覧会を開いた。 ムルナウのミュンターの家は土地の人々に「ロシア人の家」と呼ばれ、またたく間に青騎士の芸術家たちのたまり場となった。1912年にはカンディンスキーとマルクの編集によって年刊誌『青騎士』第一巻が刊行された。 カンディンスキーとマルクの他に青騎士に加わったのは、マッケ、ミュンター、ヴェレフキン、ヤウレンスキー、クビンだった。パウル・クレーは公認のメンバーではなかったが、青騎士に非常に親近感を持ち、作品を出品している。アルノルト・シェーンベルクのような作曲家――彼はまた画家でもあったが――も青騎士に参加した。青騎士を構成した芸術家たちは、中世や原始の芸術、そして同時代のフォーヴィスムやキュビスムといった芸術運動にともに関心を持っている点で結びついていた。
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