年内退陣の提案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 10:20 UTC 版)
「2011年イエメン騒乱」の記事における「年内退陣の提案」の解説
一向に収まらぬ気配のない反政府デモに対処するため、サーレハは21日に年内退陣の提案を側近などに伝え、22日にスポークスマンにより発表。翌23日には野党や軍司令官らとの会談において、サーレハは年内に大統領選挙を実施すると表明したが、野党側が求める即時退陣は改めて拒否した。一方で22日に非常事態法が成立。1ヶ月限定で憲法の停止や司法手続きを経ることなく逮捕できるとした、デモ活動を封じ込めるための内容となっている。 湾岸協力会議(GCC)はサーレハの1ヶ月以内の退陣や訴追免除といった内容を含む収拾案を示し、サーレハ自身も4月23日の時点ではいったん受け入れを表明したが、それでも反政府デモの勢いが収まることはなかった。アメリカを始めとする諸外国はサーレハの退陣表明を歓迎したが、24日には早くも政権の早期移譲を拒否。30日には直前で調停案への署名を拒否した。 GCCはその後も調停案を軸とした交渉を続けたが、5月上旬には反政府勢力側も調停案を拒否した。5月18日にはサーレハが再び調停案受け入れを表明したとも伝えられたが、翌19日には再び拒否した。5月21日には野党勢力が調停案を受け入れたもののサーレハ側は受け入れ拒否の姿勢を崩さず、GCCは仲介を断念するに至った。 周辺諸国による調停が失敗したことにより、5月下旬より治安部隊と反政府勢力との間の衝突が激化。5月25日から26日にかけて50人以上が死亡、政府と敵対する部族の指導者に逮捕状が出されるなど、イエメンは内戦状態突入への危機に陥った。5月下旬に行われた第37回主要国首脳会議では首脳宣言でサーレハの退陣と、平和的な政権移譲を求めた。5月28日には治安部隊と反政府勢力の部族との間で停戦合意が行われ、つかの間の戦闘停止が実現したが、5月29日に治安部隊がデモ隊に発砲し20人以上が死亡するなど混乱は収まらなかった。また武装したアルカーイダ系の組織が治安部隊と衝突し、これに対処するため政府軍は5月30日にアルカーイダに占領された地域に空爆を行った。その後も衝突による犠牲者の数は増え続けた。
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