岩見沢駒澤短期大学
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岩見沢駒澤短期大学 | |
---|---|
大学設置 | 1965年 |
廃止 | 1989年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人駒澤大学 |
本部所在地 | 北海道岩見沢市緑が丘5-102 |
学部 | 国文科 |
岩見沢駒澤短期大学(いわみざわこまざわたんきだいがく、英語: Iwamizawa Komazawa Junior College[1])は、北海道岩見沢市緑が丘5-102に本部を置いていた日本の私立大学である。1965年に設置され、1989年に廃止された。学生募集は1987年度まで。1989年10月12日をもって正式廃校[2]。かつてのキャンパス跡は駒澤大学看護福祉専門学校に転用され、現在、岩見沢市の市有地となっている。
概要
大学全体
建学の精神(校訓・理念・学是)
- 駒澤大学を参照。
教育および研究
学風および特色
- 岩見沢駒澤短期大学は、母体である駒澤大学の禅宗思想をベースとした教育を行っていたところに特色がある。
- 女子学生を対象とした短大であった。
沿革
基礎データ
所在地
- 北海道岩見沢市緑が丘5-102
象徴
- 岩見沢駒澤短期大学のカレッジマークは駒澤大学と同じものを使用。
教育および研究
組織
学科
- 国文科
専攻科
- なし
別科
- なし
取得資格について
年度別学生数
- 数字はその該当年度の5月1日時点でのデータである。なお、学生は女性のみである。
- 主な合格実績校は岩見沢西、美唄聖華、夕張南、美唄南、芦別、栗山、岩見沢緑陵、砂川南、赤平西、滝川、歌志内、夕張東、夕張鹿島、滝川西、芦別商業、深川西、美唄東など近隣が多かった。
- | 入学定員 | 総定員 | 学生数 | 出典 |
---|---|---|---|---|
1965年 | 50 | 50 | 74 | [3] |
1966年 | 50 | 100 | 127 | [4] |
1967年 | 50 | 100 | 89 | [5] |
1968年 | 50 | 100 | 84 | [6] |
1969年 | 50 | 100 | 84 | [7] |
1970年 | 50 | 100 | 31 | [8] |
1971年 | 50 | 100 | 35 | [9] |
1972年 | 50 | 100 | 48 | [10] |
1973年 | 50 | 100 | 43 | [11] |
1974年 | 50 | 100 | 43 | [12] |
1975年 | 50 | 100 | 99 | [13] |
1976年 | 50 | 100 | 111 | [14] |
1977年 | 50 | 100 | 114 | [15] |
1978年 | 50 | 100 | 135 | [16] |
1979年 | 50 | 100 | 140 | [17] |
1980年 | 50 | 100 | 140 | [18] |
1981年 | 50 | 100 | 162 | [19] |
1982年 | 50 | 100 | 140 | [20] |
1983年 | 50 | 100 | 126 | [21] |
1984年 | 50 | 100 | 128 | [22] |
1985年 | 50 | 100 | 100 | [23] |
1986年 | 50 | 100 | 65 | [24] |
1987年 | 50 | 100 | 65 | [25] |
1988年 | 50 | 100 | 32 | [26] |
附属機関
- 語学研究所
学生生活
概要
部活動・クラブ活動・サークル活動
- 岩見沢駒澤短期大学で活動していたクラブ活動
- 文化系:茶道部・花道部(サークル活動の多くは、駒澤大学北海道教養部と合同で行われることが多かった)
大学関係者と出身者
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歴代学長
教職員
施設
キャンパス
- 本館:1~2階はロビー・職員室・教養部長室など、3階はプラネタリウム[27]、座禅堂、同窓会事務室
- 1号館:1階は、学生ホール・教室・研究室など。2階は、教室・演習室・コンピュータ室
- 2号館:1階は、教室・演習室。2階は、教室など。3階は、研究室・講堂[28]
- 1号館と2号館の間にスノーシェルターとしての連絡通路があり、駒澤大学附属岩見沢高等学校ともつながっていた
- この他に、スノーシェルターとしての連絡通路でつながった2階建ての図書館があった。
- 専用体育館、厚生会館(食堂・喫茶室など)、学長公宅、サークル棟、大学用テニスコート[29]
- 駒澤大学附属岩見沢高等学校や駒澤大学北海道教養部と共用の本館前の正門に繋がる中央部ロータリーには二十周年記念事業の一環として、慈光観音像が建立された。身丈3メートル30センチ・総高3メートル80センチで全体が金色であったという[30]
- 元正門と2015年9月に建立された閉校記念碑(駒澤大学附属岩見沢高等学校野球部甲子園出場記念を併記)[31]、駒澤大学への土地譲渡記念碑を除き、2015年度中に全て解体された。
交通アクセス
北海道中央バス「緑ヶ丘5丁目」(当時は「駒沢高校前」)から徒歩2分[32]
系列校
附属校
姉妹校
- 駒沢女子大学
- 駒沢女子短期大学
- 駒沢学園女子中学校・高等学校
- 駒沢女子短期大学附属こまざわ幼稚園
関係校
卒業後の進路について
編入学・進学実績
- 駒澤大学への編入学制度が設けられていた。
関連項目
参考文献
- 『全国学校総覧』昭和41年度版
- 全国高等学校長協会編『教員養成課程認定大学・短期大学等総覧』(第一法規出版)
- 『全国短期大学一覧』1965年度版 - 1985年度版[33]
- 『日本の私立短期大学』(日本私立短期大学協会発行:1980年)2頁
- 『進学年鑑』(『私大コース』シリーズ別冊)
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(財団法人文教協会)昭和49年度版
- 『短大蛍雪』(全国短大&専修・各種学校受験年鑑シリーズ。旺文社)
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)1970年度版 - 1996年度版
- 『全国短期大学案内』(教学社)発行初年度版
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)昭和40年度版
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)1971年度用
- 『岩見沢駒沢短期大学大学案内』[34]
脚注
- ^ Ciniiより。
- ^ a b 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』254頁より。
- ^ 昭和30年度版『全国学校総覧』27頁(以下、『総覧』と略する)。
- ^ 昭和42年度版『総覧』28頁。
- ^ 昭和43年度版『総覧』28頁。
- ^ 昭和44年度版『総覧』30頁。
- ^ 昭和45年度版『総覧』30頁より。何故か昨年度と同数となっている。
- ^ 昭和46年度版『総覧』30頁。
- ^ 昭和47年度版『総覧』30頁。
- ^ 昭和48年度版『総覧』32頁。
- ^ 昭和49年度版『総覧』33頁。
- ^ 昭和50年度版『総覧』35頁より。何故か昨年度と同数となっている。
- ^ 昭和51年度版『総覧』37頁。
- ^ 昭和52年度版『総覧』37頁。
- ^ 昭和53年度版『総覧』37頁。
- ^ 昭和54年度版『総覧』38頁。
- ^ 昭和55年度版『総覧』38頁。
- ^ 昭和56年度版『総覧』40頁。
- ^ 昭和57年度版『総覧』40頁。
- ^ 昭和58年度版『総覧』41頁。
- ^ 昭和59年度版『総覧』42頁。
- ^ 昭和60年度版『総覧』42頁。
- ^ 昭和61年度版『総覧』47頁。
- ^ 昭和62年度版『総覧』47頁。
- ^ 昭和63年度版『総覧』48頁。
- ^ 昭和64年度版『総覧』51頁。
- ^ 『十五周年誌』に拠れば、地域貢献の一環として地元の小中学生・幼稚園児・老人ホーム入所者に見せるために作られたという。『十五周年誌』1979.10.15 p181-182 より
- ^ 以上につき『三十周年記念誌 補遺版』1999.3.31 p85
- ^ 以上につき『三十周年記念誌補遺版』駒沢大学北海道教養部1999年 巻末2頁。
- ^ 『二十周年誌』1984.10.15 p97
- ^ 母校跡、石碑が建ってた
- ^ ホームメイトリサーチ
- ^ 1979年度版以前は『短期大学一覧』。
- ^ 岩見沢市立図書館に所蔵あり。但し、『駒澤大学』の一部として扱われているため、検索の際には「駒澤大学」で検索して、なおかつ詳細を参照すること。岩見沢市立図書館を検索のこと。
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