岐阜刑務所出所後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 14:51 UTC 版)
「名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件」の記事における「岐阜刑務所出所後」の解説
初めは強い反省の念の下に刑務所生活を送っていた受刑者Bだったが、長期の服役生活を送る次第にその反省の念も薄れていったという。 1998年(平成10年)4月、Bは岐阜刑務所を仮出所したが、その3か月後の1998年7月22日には『中日新聞』岐阜総局への電話で、自らを「信用調査会社社員だ」と売り込み、「2年前(1996年、当時Bは服役中)の御嵩町長襲撃事件の情報を提供したい」として、同紙の岐阜県警担当記者を岐阜駅付近の居酒屋に呼びつけた。 記者に延々と噂に毛の生えた程度の話をした後、Bは「電車賃を出してくれ」「情報料は3000円だ」などと、執拗に金の無心をした。 後日、記者は旅行会社から身に覚えのないヨーロッパ旅行の代金約70万円を請求されたため、旅行を申し込んだ者を調べると、金の無心をしてもらえなかったことを逆恨みして名刺を悪用したBの犯行であることが判明した。 仮出所の直後、Bは故郷・長野県の母宛ての手紙に「愛知県豊橋市の保護司に世話になり仕事をしている」と綴っており、実際にこの頃は豊橋市に本籍地を移していたが、その住所は保護司ではなく暴力団組員の居宅で、まともに仕事を続けた形跡もなかった。 Bは岐阜刑務所を仮出所してからわずか1年半後の、1999年(平成11年)9月14日午後10時頃、名古屋市中区のスナックバーで、大手ゼネコンの社名と「海外建設部次長・山本力」という架空の名前を印刷した名刺を使って、同店の女性経営者を信用させ、この女性がトイレに立った隙に、店のカウンター内から現金2万円入りのバッグを盗んだ。当時、Bは大手ゼネコン2社の社名入りの、部長・次長と名乗る偽の名刺3種類を、架空の電話番号・住所を入れて勝手に作っており、1999年5月以降は名古屋市内の飲食店などで同様の手口による約30件・被害総額約100万円の被害届が提出されていた。 Bは1999年10月6日、同事件の窃盗容疑で愛知県警察中警察署に逮捕された。また、この事件の他にもBは「中部国際空港(セントレア)建設のためチリから帰国し、自宅を新築した」などと偽り、同市内の家具店に700万円分の家具・和菓子店に500個の「内祝い」まんじゅうなどを、偽の名刺を使って予約注文していた。 この2件はいずれも、店側がゼネコン2社に電話確認したことで詐欺であることが判明し、実害は発生しなかったが、ゼネコンには同様の問い合わせが約100件あったことから、中署は2社の信用を傷つけた信用毀損罪・業務妨害罪でBの余罪を追及した。 被告人Bはこれらの窃盗3件・詐欺1件の事件で1999年12月、名古屋地方裁判所で懲役2年2月の実刑判決を受け、2002年1月14日、5度目の服役を終えて刑務所を出所したばかりだった。しかしその後もBは定職に就かず、サウナ・カプセルホテルを転々とし、宿泊費・食費を得るために名古屋市内のスナックなどで無銭飲食などを繰り返していた。
※この「岐阜刑務所出所後」の解説は、「名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件」の解説の一部です。
「岐阜刑務所出所後」を含む「名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件」の記事については、「名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件」の概要を参照ください。
- 岐阜刑務所出所後のページへのリンク