岐阜・故郷編(第1週 - 第6週)
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「半分、青い。」の記事における「岐阜・故郷編(第1週 - 第6週)」の解説
1971年(昭和46年)7月7日、岐阜県東美濃地方の山奥、名古屋へ電車で往復約5時間の場所にある東美濃市梟町の、ふくろう商店街で食堂を営む楡野宇太郎の妻晴が、難産の末に長女・鈴愛を出産する。鈴愛は、同日同病院で一足先に生まれた萩尾家の長男・律と出会う。9年後の1980年(昭和55年)、小学3年生になった鈴愛は、勉強は苦手だが絵を描くことが得意な明るい少女に成長した。物理好きで友達の少ない律とは性格が反対ながらも大の仲良しになっていた。しかし平穏な日常の中、鈴愛は突然左耳の不調を訴え両親とともに大学病院へ行ったところムンプス難聴と判明し、医者からは「もう二度と治らない」と宣告される。不安を感じながらも家族のためを思い涙を堪え、律の前でだけ号泣した鈴愛だったが、やがて気持ちを切り替え、律や家族の思いやりに支えられながら難聴独特の感覚すら楽しむように成長していく。 数年後、鈴愛と律は地元の朝露高校に進学した。同じく幼馴染の西園寺龍之介(ブッチャー)と木田原菜生も交え、高校生活を謳歌していた。1989年(平成元年)、仲間は受験勉強で遊べず、寂しい高校最後の夏休みを送る鈴愛は、律から貸し出された秋風羽織作品の少女漫画に夢中になり、二学期に入り就職内定後、秋風作品の影響と律の勧めで初めて漫画を描きあげる。そして秋風のトークショーに行った際に秋風本人に漫画の原稿を見せ、弟子入りの誘いを受けたことを機に、就職せず東京の秋風の元で漫画家を目指す決意をする。当初は反対していた両親からも、紆余曲折を経て進路を認められ、高校卒業後の1990年(平成2年)春、鈴愛は東京へと旅立っていく。一方京都大学進学を志望していた律は、手違いで鈴愛に受験票が渡ったことがセンター試験当日の朝に判明し受験を断念。東京の私立大学である西北大学に進学し、母・和子たちの策略により鈴愛の転居先近くに住むこととなる。
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