少年誌での活躍とは? わかりやすく解説

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少年誌での活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 05:39 UTC 版)

小松崎茂」の記事における「少年誌での活躍」の解説

1938年に「小樽新聞」に連載悟道軒圓玉講談小説白狐綺談』の挿絵デビューし筆名は「恒方」)、翌年には科学雑誌機械化』の挿絵で、戦争物空想科学題材にした絵を描き評判になる。本名のほか「三村武」「最上三郎」といった筆名使い分けるなどして『機械化誌上賑わせた。 第二次世界大戦ごろには小松崎の描く挿絵俄然注目されるようになり、少国民向け雑誌戦記小説挿絵や、軍艦戦車飛行機などの戦争イラスト数多く発表する1945年東京大空襲生家全焼しそれまで資料スケッチも灰になった敗戦後復興期日本占領した連合国軍に群がる子供達の姿を痛々しく思い涙を流したという小松崎は、自分の絵で子供達を励ます事は出来ないかと考えるようになり、作品作りもより精力的に行うようになる少年誌向けに表紙挿絵数多く雑誌描き続け掲載され空想科学イラスト当時少年達に、未知なるものへの想像力をかき立て人気博した1948年子供向け絵物語ブーム起こりSF冒険活劇物語『地球SOS』少年画報社月刊誌冒険活劇文庫」(後に「少年画報」へ改題)で作画連載(1948-1951年)され、山川惣治人気二分した以後、『大平原児』『平原王』『第二地球』など西部劇物語もの、科学冒険ものと幅広く執筆し大活躍する。当時娯楽飢えていた少年少女らはまさに、映画観るように物語挿絵に魅せられた。当時小松崎人気は凄まじく、幾つも雑誌掛け持ち連載口絵仕事抱え、寝る間もない多忙な日々送った1950年代半ばを境に絵物語人気漫画押され凋落していったが、1960年代には戦争知らない世代の子供達の間で戦記ブーム巻き起こり、各少年誌戦記漫画読み物人気となった。これを受けて小松崎は、得意分野緻密なメカイラストを様々な媒体披露1970年代から1980年代かけても多忙な日々続いた

※この「少年誌での活躍」の解説は、「小松崎茂」の解説の一部です。
「少年誌での活躍」を含む「小松崎茂」の記事については、「小松崎茂」の概要を参照ください。

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