少年藩士から実業家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 01:17 UTC 版)
会津藩藩士の丸山家に次男として生まれる。父は丸山玄斎。日新館に学び、会津戦争では会津若松城に籠城して戦った。池上三郎や南清は戦友である。戦後に上京し南摩綱紀門下となったのち、北海道で開拓に従事する。ここで島田組幹部大三輪長兵衛に知られ、その帰郷に従って同社に入社したものの、ほどなく同社は倒産し、苦渋の時代が続いた。土木請負事業を志していた丸山にとって、転機は山陽鉄道技監となっていた南清との再会であった。丸山は山陽鉄道の土木工事請負を契機に、播但鉄道、南海鉄道、阪鶴鉄道の土木工事を成功させた。事業は関西方面にとどまらず、北海道でも函樽鉄道の土木工事を請負っている。
※この「少年藩士から実業家」の解説は、「丸山芳介」の解説の一部です。
「少年藩士から実業家」を含む「丸山芳介」の記事については、「丸山芳介」の概要を参照ください。
- 少年藩士から実業家のページへのリンク