富田メモ研究委員会による最終報告
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「富田メモ」の記事における「富田メモ研究委員会による最終報告」の解説
富田メモ(日記・手帳)について、日本経済新聞社は社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」を設置した。委員は次のとおり。 御厨貴(東京大学教授) 秦郁彦(現代史家) 保阪正康(作家) 熊田淳美(元国立国会図書館副館長) 安岡崇志(日本経済新聞特別編集委員) 富田知子(特別委員・富田朝彦夫人) 同委員会は2006年10月から、計11回の会合を重ねメモ全体を検証し、2007年4月30日に最終報告をまとめた(以下、「」内は同記事よりの引用)。それによると、「これまで比較的多く日記などが公表されてきた侍従とは立場が異なる宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な史料だ」と評価。特に2006年7月、日本経済新聞が報じたA級戦犯靖国合祀に不快感を示した昭和天皇の発言について「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」と結論付けた。 また昭和天皇が靖国参拝に対し、「明治天皇のお決(め)になって(「た」の意か)お気持を逸脱するのは困る」(1988年5月20日)と書いた部分も発見され、同委員会は「昭和天皇が靖国神社の合祀のあり方について、明治天皇の創建の趣旨とは異なっているとの疑問を抱いていたのではないか」と判断した。 なお今回の検証の結果、戦犯問題や歴史問題、政治外交問題、社会的な出来事など、「富田メモ」として報道された部分以外にも、さまざまな事柄に関する天皇の発言を記した記述が数多く見つかった。 最終的に富田メモは、富田家が公的機関への寄託などを検討している。
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富田メモ研究委員会による最終報告
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「A級戦犯合祀問題」の記事における「富田メモ研究委員会による最終報告」の解説
「富田メモ」(日記、手帳)について、日本経済新聞社が設置した社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は2007年4月30日、最終報告をまとめた(以下、「」内は同記事よりの引用)。 同委員会は2006年(平成18年)10月から、計11回の会合を重ねメモ全体を検証した。その結果「これまで比較的多く日記などが公表されてきた侍従とは立場が異なる宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な史料だ」と評価。特に2006年7月、日本経済新聞が報じたA級戦犯靖国合祀に不快感を示した昭和天皇の発言について「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」と結論付けた。岡崎久彦のように「終戦直後の昭和天皇は『連合国にとっては戦犯だが日本にとっては忠臣』と言っておられた」とメモの真実性に疑問を呈する声もあったが、この最終報告以降メモの信憑性自体を疑う声は消えたと言ってよい。[独自研究?] また昭和天皇が靖国参拝に対し、「明治天皇のお決(め)になって(「た」の意か)お気持を逸脱するのは困る」(1988年(昭和63年)5月20日)と発言したのを書いた部分も発見され、同委員会は「昭和天皇が靖国神社の合祀のあり方について、明治天皇の創建の趣旨とは異なっているとの疑問を抱いていたのではないか」と判断した。 最終的に「富田メモ」は、富田家が公的機関への寄託などを検討している。
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