富田一色地区民のルーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 06:12 UTC 版)
富田地区(東富田村)をルーツとする富田一色に多い苗字 伊藤家(富田・富洲原に多く分布) 渡辺家(富田・富洲原に多く分布) 鈴木家(富田・富洲原に多く分布) 小川家(富田・富洲原に多く分布) 富田一色と周辺地区をルーツとする富田一色に多い苗字 野呂家(富田一色特有の苗字) 渡部家(富田一色特有の苗字) 樋口家(富田一色特有の苗字) 生川家(富田一色特有の苗字) 樋口家が富田一色地区に72軒。 鈴木家が富田一色地区に37軒。 伊藤家が富田一色地区に30軒。 渡部家が富田一色地区に26軒。 生川家が富田一色地区に26軒。 佐藤家が富田一色地区に17軒。 小川家が富田一色地区に14軒。 渡辺家が富田一色地区に10軒。 水谷家が富田一色地区に10軒。 野呂家が富田一色地区に9軒。 富田一色地区は、明治時代からの住民が多いが多くの人が他の地区((1)富田の分家(分村)としての機能。(2)富田地区の支店としての機能。(3)富田から移住した人々が新しく開発した半島で東西富田村の新屋と呼ばれた土地としての機能)から移り住んできて人たちで形成された地区である。富田地区と富洲原地区に多い苗字の伊藤家・渡辺家・鈴木家・小川家は富田地区から移住してきた一族である。生川家は富田一色生川家と富田生川家の2つの生川家があり富田一色地区から富田地区に移住する形で進出した一族である。野呂家は野呂昭彦三重県知事を輩出した松阪野呂家・津野呂家・四日市野呂家など三重県特有の苗字で、四日市市内では富田一色地区と下野地区に野呂姓が多くて下野地区から移住してきた一族である。樋口家は保々地区に多い遠い親戚の保々樋口家と四日市に各地に移住した親戚の樋口家がいて、渡部家は富田一色地区から天ヶ須賀に移住した一族がいる、。水谷家は三重郡川越町高松村や桑名市から移住してきた一族で水谷家は江戸時代に富田一色村と松原村の庄屋だった家柄で、江戸時代の富田一色村の庄屋は松原村と同じ水谷順次郎であった。富田一色地区民のルーツは、富田地区の古い寺の古文書で知ることができる。富田地区の東富田村からの移住者が多いため、「富田」の名称が命名されて富田の分家や富田の支店や富田の新屋の新しい家として富田一色と命名された。また、富田六郷の東富田村と西富田村の分村である富田の「居敷」が「富田一色」のもとの意味で、渡辺家や伊藤家などの先祖の人たちが「富田」から移住して形成された集落である。富田一色の「一色」という地名は、新しく開拓された土地に命名される名称で、古くはない土地である。富田一色地区の龍泉寺の記録によると、室町時代後期には、小集落ができていた。三重郡や四日市市には、「三重郡川越町の豊田一色」「四日市市橋北地区の浜一色」と「一色」の付く地名がある。
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