実際の使用事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:46 UTC 版)
前述の通り朝鮮を植民地と明示する日本の法令は存在しないが、その他の公文書においては朝鮮を植民地と称するものも見られる。一例として1923年(大正12年)、拓殖省事務局は『殖民地便欄』を刊行したが、このなかには「我ガ殖民地ト称セラルル朝鮮・台湾・樺太・関東州及ビ南洋群島」と記載されている。 戦前から研究者や思想家の間では、朝鮮が植民地であるか否かについてはすでに議論があった。憲法学者の美濃部達吉など社会科学系の研究者はおおむね植民地であると見なしていたが、歴史学者の田保橋潔や革命家の北一輝などは植民地ではないと主張していた。民本主義を最初に主張したとされるジャーナリストの茅原華山は、1913年の著書『新動中静観』の中で、台湾及び朝鮮を日本の「投資的植民地」であり「生産的植民地」であると述べたものの、その意味で朝鮮は大きな価値が無いとした。経済学者の福田徳三は、朝鮮の人口が既に過密なことから、「民を植(う)える地」という「植民地」及び「民を殖(ふや)す地」という「殖民地」という単語は不適切だとした。全国経済調査機関連合会は、朝鮮を「各般の事情が植民地乃至それに準ずべき立場に在る」としながらも、朝鮮の財政は地方財政(府県財政)と同様の地位にあるとした。戦後においては、外務省条約局による「内地の法体系とは異なる外地法によって外地法令が適用された地域」という外地の定義を援用し、領域としての朝鮮地域において大日本帝国憲法の適用に保留があったこと、日本内地とは異なる法体系(朝鮮総督府令等)が適用される点、また朝鮮籍(日本)臣民の権利に国籍条項など制限があったことをもって、植民地であったとされる主張がある。 小渕内閣時に出された日韓共同宣言においては、村山内閣時の「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(村山談話)を踏襲し、過去の日本の朝鮮統治について「植民地支配」という表記を用いている(日本の戦争謝罪発言一覧も参照)。また、国交のない北朝鮮との間で出された日朝平壌宣言においても同様に「植民地支配」表記が用いられているが、日本国政府の見解は「植民地支配」の定義は様々な議論があるため困難であるというものである。
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