実際に処分された者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:33 UTC 版)
「相撲競技監察委員会」の記事における「実際に処分された者」の解説
監察委設置翌年である1972年3月場所では、12日目の琴櫻-前の山戦について、両力士の師匠に「再びこのような相撲をとらないよう監督せよ」と注意したのが、監察委が無気力相撲を認定した初のケースである。前の山の師匠である高砂親方(元横綱・朝潮)は事態を重く見て翌日から前の山を休場させ、角番だった前の山は大関から陥落した。一方、琴櫻は出場を続け、14日目には弟弟子の長谷川を「援護射撃」する白星を挙げ、長谷川はこの場所優勝を果たす。この監察委の対応については、「罰則の対象にならない最も軽い注意にとどめ、あとの処置を両大関の師匠にゲタをあずけた。その結果が、一方が休場、一方はそのままという妙なことになってしまった。」「高砂親方は今場所、審判部長に就任した。かんぐれば土俵を預かる最高責任者としての立場から自分の弟子にツメ腹を切らせたともいえる。いつも泣かされるのは力士だけなのだろうか。」と批判されている。 その後20年近く無気力相撲が認定された事例はなかったが、1991年9月5日の理事会において、任期満了が迫っていた二子山理事長(第45代横綱・若乃花)は、掲げてきたテーマ「土俵の充実」に則り、無気力相撲を行った者には除名を筆頭に解雇、引退勧告などの非常に重い処分を課すと表明し、翌日に二子山は全力士・年寄にこのことを伝達した。このうち引退勧告については、従わなかった場合に解雇処分とすることも可能である。 監察委発足以来、無気力相撲が認定された事例は断続的に発生してきたが、監察委として処分が下った力士は1人もおらず、処分に当たらない「厳重注意」「注意」がいるのみである。2011年に入って発覚した大相撲八百長問題では監察委員会は機能せず、無気力相撲の認定は外部機関である特別調査委員会が行い、処分は特別調査委員会の素案通りに理事会が行った。 特別調査委員会の調査による処分者については、大相撲八百長問題#処分を受けた者、もしくは八百長に関与していた者を参照。 処分日四股名所属部屋番付勝敗処分内容備考1972年3月24日 琴櫻 佐渡ヶ嶽 東大関 負 厳重注意 1972年3月場所12日目の両者の取組を無気力相撲と認定 前の山 高砂 東張出大関 勝 厳重注意 1992年1月30日 琴の若 佐渡ヶ嶽 西前頭9 勝 厳重注意 1992年1月場所9日目の両者の取組を無気力相撲と認定 巴富士 九重 東前頭12 負 厳重注意 時津洋 時津風 東十両6 負 厳重注意 1992年1月場所14日目の両者の取組を無気力相撲と認定 日立龍 押尾川 東十両8 勝 厳重注意 1992年3月14日 武蔵丸 武蔵川 西前頭1 負 厳重注意 1992年3月場所6日目の小錦戦を無気力相撲と認定 1992年5月28日 三杉里 二子山 東前頭1 勝 厳重注意 1992年5月場所13日目の両者の取組を無気力相撲と認定三杉里はこの場所敢闘賞を受賞 巴富士 九重 西前頭1 負 厳重注意 琴富士 佐渡ヶ嶽 西前頭3 負 厳重注意 1992年5月場所14日目の両者の取組を無気力相撲と認定 起利錦 鏡山 西前頭6 勝 厳重注意 佐賀昇 押尾川 東十両5 勝 厳重注意 1992年5月場所千秋楽の両者の取組を無気力相撲と認定 旭豪山 大島 東十両12 負 厳重注意 1993年5月27日 琴ヶ梅 佐渡ヶ嶽 西十両8 負 注意 1993年5月場所8日目の両者の取組を無気力相撲と認定 前進山 高田川 東十両11 勝 注意 2004年1月23日 増健 三保ヶ関 東十両9 勝 注意 2004年1月場所12日目の両者の取組を無気力相撲と認定 濵錦 追手風 東十両13 負 注意 2008年11月17日 保志光 八角 東十両3 負 注意 2008年11月場所4日目の若天狼戦を無気力相撲と認定しかし同日に「注意した事実はない」と監察委員長が発言を訂正 2009年5月29日 千代大海 九重 東大関 勝 注意 2009年5月場所千秋楽の両者の取組を無気力相撲と認定 把瑠都 尾上 東関脇 負 注意
※この「実際に処分された者」の解説は、「相撲競技監察委員会」の解説の一部です。
「実際に処分された者」を含む「相撲競技監察委員会」の記事については、「相撲競技監察委員会」の概要を参照ください。
- 実際に処分された者のページへのリンク