女房装束の唐衣とは? わかりやすく解説

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女房装束の唐衣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 05:24 UTC 版)

唐衣」の記事における「女房装束の唐衣」の解説

唐衣からぎぬ)は、女房装束十二単)の一番上着用する、腰までの長さの短い上衣である。左右の襟が体の前で向きあう対襟形式で、襟は羽織のように外に折り返し、下に着る袿類よりやや短い袖がつく。基本的には裳と一緒に着用する明確な起源は分っていないが、10世紀の『和名類聚抄』の背子説明に、和名で「カラキヌ(加良岐沼)」と呼び、形は半臂(はんぴ)に似て襴(裾の下につける横向きの布)がなく、女性着用する袷の表衣であると記され、この背子平安時代に袖が付き大振りになるなど上着様式整えられ結果後世唐衣呼ばれる衣服になった考えられている。また、正倉院には伎楽女性着用した伝承されるベストのような袖のない短い衣服現存しているが「背子」という墨書もないため、何であった詳細不明となっている。 唐衣生地は、身分により異なり、また奢侈禁制影響受けてその時々でも変わった青色麹塵・緑系の色)や赤色赤紫)の「織物」(高級な紋織物をさす語)とよばれる地は、特に許され女性しか着用できなかった(禁色)。また、西宮記』によると、節会などの重い儀式には「摺唐衣もしくは海浦唐衣」とよばれる波の文様摺った描き絵の代用品も多い)ものと、赤い目染裳が用いられ、そのしきたり中世まで継続した。この名残采女装束見られる裏地には通常文の綾を用いる。近世40歳未満女性裏地板引といって糊を厚く引き、滑らかな板に張って平滑な糊の層でコーティングして艶を出した近世赤色唐衣経糸は紫、緯糸は紅で織り山科流では裏を縹とし、高倉流は表と同系色を用いた青色唐衣経糸緑、緯糸黄で織り、このとき、山科流では黄色の裏をつける。なお、秩父宮妃勢津子婚礼時経緯とも緑の、緑裏の唐衣用いて青色称したが、近代新儀であろう皇太子妃雅子当時)の青色唐衣もまたこの例に従った皇后の料は、古く赤色青色織物が多いが、後深草天皇即位の時、母后は白唐衣用いた。また立后のときは唐衣表着に白を用いるのが平安中期以降慣例であり、これらを参照して大正以降即位の礼皇后の料は白唐衣緑系統表着という組み合わせ固定化した。 女性神職装束唐衣は、正絹固地綾無双小葵丸紋、亀甲菊紋三重古代木瓜文などを用いる。

※この「女房装束の唐衣」の解説は、「唐衣」の解説の一部です。
「女房装束の唐衣」を含む「唐衣」の記事については、「唐衣」の概要を参照ください。

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