太平洋での戦闘と日本への影響とは? わかりやすく解説

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太平洋での戦闘と日本への影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:59 UTC 版)

クリミア戦争」の記事における「太平洋での戦闘と日本への影響」の解説

太平洋側ロシア極東にも戦争波及したフランス海軍イギリス海軍連合1854年8月末、カムチャツカ半島ロシア港湾要塞であるペトロパブロフスク・カムチャツキー攻略目論んだペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦)。英仏連合軍盛んに砲撃行い同年9月上陸したが、陸戦大きな犠牲出して撤退した英仏連合兵力増援したが、再度攻撃をかけた時にはロシア軍撤退した後だった。ロシア守備隊1855年初頭雪の中を脱出した。 この戦い並行してエフィム・プチャーチン海軍中将日本との開国交渉にあたっていた。プチャーチンは、開戦前ロシア本国出発し1853年8月長崎到着外交交渉着手していたが、交渉が長引く中で英仏両国との開戦情報接し東シベリア総督ニコライ・ムラヴィヨフとも協議の上日本との交渉続行英仏艦隊との遭遇交戦の危険を控え1854年12月には安政東海地震により乗艦ディアナ号喪失するも、1855年1月日露和親条約の締結成功している。 また、プチャーチン長崎入港中との情報を得、英国東インド・中国艦隊司令ジェームズ・スターリングは、それを捕捉することを口実に、長崎侵入した到着時にはすでにロシア艦隊長崎にはいなかったが、英国ロシア戦争中であること、ロシアサハリンおよび千島列島への領土的野心があることを警告し幕府に対して局外中立求めたスターリング外交交渉を行う権利有しておらず、かつ本国からの指示受けていなかったが、長崎奉行水野忠徳は、イギリスの軍事力への恐れから、条約締結提案し1854年10月14日日英和親条約調印された。日本北方ロシア海軍との交戦を行うためには、日本での補給可能にすることには大きなメリットがあり、本国追認した。 新興国大きな海軍有していないアメリカが、この時期ペリー提督派遣して日本に対して砲艦外交を展開できたのは、この戦争によって欧州列強関心日本含めた東アジア地域にまでおよばなかったことも理由一つである。 なおこの戦争フランスでは政府命令受けてパリ天文台台長のルヴェリエという学者暴風雨研究行い、これが今日の天気予報という学問ジャンル起源になった

※この「太平洋での戦闘と日本への影響」の解説は、「クリミア戦争」の解説の一部です。
「太平洋での戦闘と日本への影響」を含む「クリミア戦争」の記事については、「クリミア戦争」の概要を参照ください。

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