大韓民国の華人とは? わかりやすく解説

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大韓民国の華人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 16:15 UTC 版)

朝鮮半島の華人」の記事における「大韓民国の華人」の解説

大韓民国在住する華人在韓華人とも言う。韓国内には、約24千人華人常住している。在韓華人大部分は、中華民国台湾国籍である。 現在の在韓華人大部分は、この事件の後1945年から1950年の間に韓国にやって来た。当時中国では、国共内戦進行中であり、大きな難民流れ生み出していた。主として国民党支持者であった多く華人は、韓国を含む国外亡命した。これら難民大部分は、黄海西岸存在する山東省出身者だった。 当時中華民国大韓民国同盟国であったため、中華民国籍難民大部分韓国受け入れられ国内居住許可与えられた。その一方で民族主義的李承晩政権は、華人国内留まり、根を下ろすことを警戒した韓国当局1945年から1980年までに華人に対して行なった政策は、現在の韓国において弾圧制限的なものと評されている。華人韓国国籍取得は、非常に困難なものとされ、在韓華人は、永住外国人華僑)とならざるを得なかった。外国人である在韓華僑は、国家機関及び軍に勤務することができなかった。1961年法律は、外国人土地所有権制限し多く華人農民は、急いで自分地所売却(あるいは、緊急に自分韓国人妻か、韓国人友人名義換え)せざるを得なかった。華人は、韓国民間会社、特に大企業への就職の際、大きな問題直面するため、中小企業に甘んぜざるを得なかった。 その後華人大部分は、主として急速に世界的規模の経済大地域に変貌した台湾との対外貿易従事し始めた同時に華人には、重要な特権である国内永住権韓国当局から賦与された。それにも拘らず華人も、韓国出入国管理局で書類手続きし2年一度自分居住権更新しなければならなかった。 在韓華僑最盛期は、韓国に約10万人の華人住んでいた1970年代初めだった。ソウル華人子弟大部分は、ソウル中華中等学校学び少数の者だけが普通の韓国学校通った1970年代末から、中国人住民の数と在韓華人活動は、急速に低下し始めた。ほぼ同時に当局側の華人への待遇改善されたが、華人大量に韓国離れ台湾移住し始めた帰国始まった原因1つは、華人学校卒業生である華人青年が、韓国大学への入学の際に大きな問題経験したことである。問題は、差別よりはむしろ、韓国人のみを指向した学校教育プログラム自体にあった学歴社会韓国では、大学卒業証書のない人間は、出世物質的豊かさ達成チャンスもほとんどなかったため、華人良い大学入れ相応し仕事を見つけられる機会が多い台湾渡り始めた一方で国籍取得条件緩和されたため、韓国永住決めた一部中国人は、韓国国籍取得し始めた。 現在、韓国には、四半世紀前の4分の1以下である24千人中華民国国民存在する華人は、韓国滞在している全外国人10分の1未満しかないが、国内永住している唯一の外国籍民族集団である。

※この「大韓民国の華人」の解説は、「朝鮮半島の華人」の解説の一部です。
「大韓民国の華人」を含む「朝鮮半島の華人」の記事については、「朝鮮半島の華人」の概要を参照ください。

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