大韓民国の金化郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 16:00 UTC 版)
「鉄原郡 (南)」も参照 大韓民国政府の立場では、1952年の統廃合も含め、朝鮮民主主義人民共和国政府が統治下で行った行政区画の変更を認めておらず、「以北」では1945年8月15日時点の行政区画が凍結されている。朝鮮戦争により、かつての金化郡域の南部にあたる1邑7面(金化邑・西面・近北面(一部)・近東面・近南面・遠東面(一部)・遠南面・任南面(一部))は韓国の実効支配地域に入った。 1954年10月21日に韓国政府は収復地区臨時行政措置法により、地方行政機関としての金化郡を再建した。このため、韓国の行政区画としての江原道金化郡が存在することとなった。1963年に韓国が実効統治する金化郡地域は鉄原郡に編入され、韓国統治下の金化郡は消滅した。現在の鉄原郡東部が旧金化郡域にあたる。なお、旧金化郡域は大部分が民間人出入統制区域となるため、定住人口があるのは金化邑・西面・近北面・近南面のみである。 なお、かつての金化郡のうち北朝鮮側に帰属した部分については、以北五道委員会の下で金化郡が存続し、名誉職の郡守・面長が任命されている。
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