多色使用の開始とラインカラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 10:22 UTC 版)
「国鉄色」の記事における「多色使用の開始とラインカラー」の解説
国鉄発足後の1950年、湘南電車に使用される80系電車が緑2号と黄かん色の2色塗りで登場した。この2色塗装パターンは、アメリカのグレート・ノーザン鉄道のディーゼル機関車の塗装にヒントを得たもので、これに近い色合いを採用したものである。オレンジ色は警戒色でもあることから、高速電車の色としてもふさわしいものと考えられた。この塗装デザインは、後に「湘南色」と呼ばれることになる。開始当初から現在まで「沿線のミカンの実と葉の色」として説明されることが多いが、これは後付けの理由によるものである。 同時期、横須賀線の車両では青2号とクリーム2号の2色塗りが採用された。これが「横須賀色(スカ色)」と呼ばれる。のち、「スカ色」は若干色合いの異なる青15号とクリーム1号に変更されたが、現在も使用されている。こちらは、海沿いに向かうため「白砂青松を表現した色」として宣伝されることになった。 1950年(昭和25年)6月に京阪神地区の「関西急電」にも80系電車が投入されることになった。この車両では大阪鉄道管理局の意向を汲み、塗り分けパターンは標準の80系に合わせつつ、戦前のモハ52形に通ずる濃いクリーム色(クリーム3号)とマルーン(ぶどう色3号)の2色塗りが採用された。 また、1956年(昭和31年)11月19日の東海道本線の全線電化時、特急「つばめ」「はと」に用いられる車両に明るい塗装を施し、全線電化のPRを行なう方針がまとまり、EF58形電気機関車と客車には淡緑5号一色の塗装が施された。その色から「青大将」と呼ばれることになった。 通勤形電車においては、1957年(昭和32年)に中央線に投入された90系電車(後の101系)にオレンジバーミリオン(朱色1号)が採用され、イメージチェンジが図られた。その後、新たな線区に通勤形電車が投入されるたびに、誤乗防止の観点などからカナリアイエロー(黄5号)やウグイス色(黄緑6号)といった新たな色が制定され、路線別カラー(ラインカラー)が普及することとなった。路線別のカラーは他の鉄道事業者(特に地下鉄で顕著)にも波及し、国鉄を引き継いだJR各社において、今もなお使用されている点で大きな功績といえる。 これらの多くの色を使用した塗装は、それまで無味乾燥だった国鉄車両に文字通り色を添えることになり、国鉄車両はカラフル化の一途をたどっていったが、国鉄時代は1両の側面や妻面に塗られる色数は「原則的に2色まで」であった。塗色の多色化が進むのは、国鉄分割民営化後のことである。 湘南色(緑2号と黄かん色) 初期のスカ色(青2号とクリーム2号) 1963年以降のスカ色(青15号とクリーム1号) 関西急電色(ぶどう色3号とクリーム3号)
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