多店舗構想と駅前再開発
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そごうでは「交通のよい最適地に最大級の百貨店をつくる」ことを出店戦略の基本として、駅前に巨艦店を次々と出店するという多店舗戦略を進めていった。 この出店計画は旧名称「十合」の十にちなみ、10店舗構想「グレーターそごう」と名付けられ、千葉そごうを皮切りに黒崎そごうの出店で達成した。さらにそれを拡大し、20店舗構想「ダブルそごう」、30店舗構想「トリプルそごう」と称して積極的な展開を行った。 多店舗展開にあたっては国道16号を「レインボーロード」と称し、東京都心部を包囲するように国道16号沿いへ出店する戦略を採った。これは、東京都心部にはすでに在京百貨店を含めた同業他社が集中的に出店しており、有楽町そごうで苦戦して以来、東京都心部への出店が遅れたそごうの入り込む余地が残されていなかったためである。そのため首都圏では郊外への出店がメインとなり、商圏人口に見合わない規模の店舗が近隣地域に複数出店することも多かった(多摩そごうと柚木そごう、木更津そごうと茂原そごうなど)。 また、株式会社千葉そごう設立の3年後となる1969年(昭和44年)5月21日には、横浜駅前への出店を見据えて株式会社横浜そごうを設立。相模鉄道が開発を主導して駅ビル「相鉄ジョイナス」を建設し横浜髙島屋を誘致した西口に比べ、開発の遅れていた横浜駅東口の用地を安価に取得した。実際に出店したのは16年後で、横浜駅東口再開発事業に合わせ、横浜新都市センターによって建設された「横浜新都市ビル」の核店舗として、1985年(昭和60年)9月30日に横浜そごうを開業。開店資金約590億円を投資し「横浜が生んだ、世界最大級の百貨店」をキャッチフレーズに、開業当時は東洋一の売場面積を誇る巨艦百貨店としてオープンした。この横浜店は現在もそごうの「基幹店」として営業している。 詳細は「そごう横浜店」を参照 こうした小売・流通業というよりデベロッパー的な手法により、1980年代から1990年代にかけて、各地の自治体主導により行われた駅前再開発事業の核店舗として入札し、破格の賃料を提示し競合他社を退けて巨艦店の出店を続けた。そごうの経営を特徴づける1店1社の地域子会社制もこのための手法であった。再開発では無視できない地元商店街などの反対意見として「本社のある都市(そごうの場合は大阪)に利益が吸い取られる」というものがあるが、地域子会社が出店することで「地元に金を落とす」と主張して批判をかわし、自治体の再開発事業への出店を有利に進めていった。 しかしバブル景気の崩壊により、土地の値上がりを前提として銀行から融資を引き出し、出店した店舗を担保に次の出店のための融資を得るというサイクルが崩れ、巨艦店を出店し規模で他店を圧倒して地域一番店を目指すという「大艦巨砲主義」的モデルに翳りが差した。そのため経営破綻直前の1990年代後半には、再開発事業で出店予定していた店舗の計画中止が相次ぐこととなった。 「そごうの店舗一覧#構想はあったが出店を断念した店舗」も参照 海外展開においても、アジアへの出店では日本人観光客よりも、地元の消費者を狙う戦略で出店している。実際に、香港そごうでは約85%、台湾太平洋そごうでは約95%が地元客といわれ、地元密着の百貨店となった。
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