多度津藩・江戸屋敷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 03:06 UTC 版)
江戸時代・幕末まで、鳥居坂には多度津藩・京極家の江戸屋敷があり、同藩の第3代藩主京極高文が死去したのもこの屋敷であった。 明治時代になるとここは公爵・井上馨の所有となり、1887年(明治20年)には邸内で明治天皇夫妻らを招いた天覧歌舞伎が行われている。屋敷はその後久邇宮邸となり、次いで大正銀行頭取も務めた実業家・赤星鉄馬の邸宅となった。 しかしながら屋敷は1923年(大正12年)の関東大震災により倒壊、三菱財閥総帥・岩崎小弥太の邸宅として再建された。太平洋戦争での日本の敗戦と財閥解体を経て国有地となっていた多度津藩江戸屋敷跡は民間に払い下げられ、1955年(昭和30年)に国際文化会館が開館した。
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