多店舗化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:34 UTC 版)
近畿日本鉄道の直営だった百貨店部門とは別に、1960年(昭和35年)6月15日には四日市近鉄百貨店を開業したほか、大分県の別府で1958年(昭和33年)開業の中村百貨店を買収して1960年(昭和35年)9月に別府近鉄会館として開業した別府近鉄百貨店、1960年(昭和35年)4月開業の和歌山近鉄ストアを3年後に百貨店化した和歌山近鉄百貨店や1962年(昭和37年)9月2日開業に合わせて出資した近鉄松下百貨店といった別会社方式で沿線以外への進出を行っていた。 これらの出店に続いて、1974年(昭和49年)5月には同様に首都圏第1号店として東京・吉祥寺に東京近鉄百貨店(1983年直営化)を出店している。吉祥寺は都心ではないが、情報化の進む東京を人材育成の拠点として活用するとともに、首都圏でのさらなる出店も検討した。 1977年(昭和52年)に丸物が京都近鉄百貨店と改称して以降、当社を中心に各百貨店や近商ストアを合わせて近鉄流通グループと呼ばれるようになった。赤字でグループの足を引っ張った東京近鉄百貨店や「丸物」名義の「ひらかた丸物」として開業した枚方近鉄百貨店も1982年2月期には経常黒字に転換するめどが立ち、ニチイ(後のマイカル)やジャスコの近鉄沿線への出店に対抗するため、事業拡大を狙うことになった。このころから資金調達のために株式上場がうわさされ、当社も林修社長のころから目標とはしていたが、20世紀中には実現することはなく、東武百貨店や小田急百貨店と並び、非上場で資本的には電鉄の完全子会社といった状態が続いた。
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