地名の由来と変遷
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「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)の間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。 この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。 その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(正安3年(1301年)刊の『宴曲抄』には、熊野参詣の行路として「九品津小坂郡戸の王子」が言及されており、これが大坂に比定される。また『日本書紀』には烏瑳箇とある)。このためにこの説は信憑性に乏しい。 蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。 漢字の表記は当初「大坂」が一般的だったが、「坂」の字を分解すると「土に反る」となり、死を連想させることから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には、「大阪」が定着した。一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる。 ただし、「大阪府庁所用の官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」と、昭和2年再版発行「大阪市史 巻1」は語る。
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地名の由来と変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 08:48 UTC 版)
かつて町に居住していたアラブとインドの商人の多くがムスリム(イスラム教徒)であったため、町の名前はビルマ語で「イスラム教徒」を指す語(Pathi)に由来すると考えられている。もしくは、かつてこの町にあった寺院の屋根に鷹が集まっていたことから、町はモン語で「Bhé-sim(鷹の寺)」と呼ばれるようになり、この言葉が転訛してパテインと呼ばれるようになったとも考えられている。 19世紀にビルマがイギリスの統治下に置かれた時、町は「バセイン」と名前を変えられた。1948年にビルマ連邦がイギリスから独立した後も引き続き「バセイン」の名称が使用されたが、1989年より軍事政権によって始められた地名の改称で、町の名前は「パテイン」に戻された。
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