地名の由来と変遷とは? わかりやすく解説

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地名の由来と変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 23:44 UTC 版)

大阪」の記事における「地名の由来と変遷」の解説

大坂」という地名は、元は大和川淀川現在の大川)の間に南北横たわる上町台地北端辺り指し古く摂津国東成郡属した。 この漢字地名に関する最古の記録は、1496年浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれ御文中に見られる摂州東成郡生玉庄内大坂」との記載である。もともと、蓮如大坂呼んだ一帯は、古く浪速難波浪花浪華)などが地域の名称として用いられていたが、蓮如現在の大阪城域に大坂御坊いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力周辺伸ばす及んで大坂という呼称定着した。 その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前大坂は「オホサカ」ではなく「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる正安3年1301年)刊の『宴曲抄』には、熊野参詣行路として「九品小坂郡戸王子」が言及されており、これが大坂比定される。また『日本書紀』には烏瑳箇とある)。このためにこの説は信憑性乏しい。 蓮如以後大坂は「おおざか」と読んだとされる江戸時代商人伝兵衛海難事故ロシア帝国漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえた伝わっている。 漢字表記当初大坂」が一般的だったが、「坂」の字を分解すると「土に反る」となり、死を連想させることから、江戸時代ころから大阪」とも書くようになり、明治時代には、「大阪」が定着した一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士叛く士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれる。 ただし、「大阪府庁所用官印に、大阪府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字變更偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」と、昭和2年再版発行大阪市史 巻1」は語る。

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地名の由来と変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 08:48 UTC 版)

パテイン」の記事における「地名の由来と変遷」の解説

かつて町に居住していたアラブインド商人多くムスリムイスラム教徒であったため、町の名前ビルマ語で「イスラム教徒」を指す語(Pathi)に由来する考えられている。もしくは、かつてこの町にあった寺院屋根集まっていたことから、町はモン語で「Bhé-simの寺)」と呼ばれるようになり、この言葉転訛してパテイン呼ばれるようになったとも考えられている。 19世紀ビルマイギリスの統治下に置かれた時、町は「バセイン」と名前を変えられた。1948年ビルマ連邦イギリスから独立した後も引き続きバセイン」の名称が使用されたが、1989年より軍事政権によって始められ地名改称で、町の名前は「パテイン」に戻された。

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